Faculty Development

講義とFD
群馬大学長の赤岩英夫先生の文章を読んで。

赤岩先生は分析化学の講義をずっと続けてきた。
博士課程を終えて大学に勤めることになり、恩師に講義の心がまえを
聞いたところ
「はじめのうちは既存の教科書を使うのもいいが、
なるべく早く自分で教科書を書きなさい」
と言われたとのこと。
これがストレスになったそうだ。

講義をしているうちに気になって、毎年最後の講義の時に無記名でアンケートを
書いてもらうことにした。
まずいところを書いてもらって翌年のために改善に使おうというわけ。
「横文字を黒板に書くのはやめてほしい」
「先生は自信のないところにくると、声が小さくなる」
はっとしたこの先生はよく理解していないで声が小さくなりそうなところは
以後抜かすようにしたそうだ。
実は私も最終回の講義の時、無記名で学生にアンケートを書かせています。
無責任なものもあるが、中には聞くべきことを書いているのもある。

いま大学評価も同僚評価がはやっている。学位授与機構の評価、大学基準協会の相互評価。
そのような体系的な同僚評価とは比べるべくもないが、同じ学科の教授たちとの
親密なつきあいは、結果として同僚評価となり、効果のあるFDでもあったと思う。
暗くなるといつも仲間3人が集まり、講義の内容、学生の答案、科学英語の教授法、
国際会議に出す論文の内容にいたるまで、議論はつきることがなかった。

この先生も先生になってから30年たって、ようやく自分で教科書を書くことができた。
それも若い研究仲間3人を加えての合作。
それは自分の怠慢というよりも、分析化学の発展と細分化が一人で書くのを
不可能にさせたからという。

学生が卒業して、将来文献を読むときに役立つように、
専門用語の英単語は板書しつづけたという。
誤字が多いから「原素元子さんには単位を出さない」と警告した。
(元素、原子を正しく書けない大学生が多い。関東の国立大学でも)

現在大学改革が進行している中で、FDが声高に叫ばれている。
体系的なFDシステムを構築するのにこしたことはないが、まずは手近なところ
「講義に対する学生の反応を見ること」
「同僚との教育論議」から始めるのも意味があるのではないか。

この言葉はなかなかよいと思う。