英語 意思伝達手段の一つ

(岩手日報 平成10年8月11日)の記事を読んでの感想です。 書いた人は(IBC岩手放送ディレクター兼リポーター ネイセン・パットン)さん。  七月の下旬、彼の両親が岩手に遊びに来たんだそうです。 ご両親はTシャツやスペアタイヤカバーなどあちこちに書いてある意味不明の英語を 見てよく笑ったそうです。  日本でものを作る会社はかっこいいと思うから商品に英語を書くのかもしれないが、 英語を母国語とする人にとって意味不明英語はあまりかっこいいと思わない と書いています。まったくその通りですね。われわれだって海外で、シャツに 意味不明の日本語が書かれてあるのを見てもかっこいいとは思いませんものね。  つまり、これは外国人のために英語を書いているのではなく、雰囲気を楽しむため 日本人のために英語を書いているわけですね。  だから、彼は、英語はコミュニケーションの道具なのだから、日本人はもっと コミュニケーションのために英語を使えばいいと書いています。  彼が指摘する例の、レストランのメニューの飲み物の上記に、英語でDrinks (飲み物)と書いてあっても、一つずつの飲み物は日本語しか書いてない矛盾を 指摘しています。不親切ですよね。日本語ができない外国人のための英語なら、 一つずつの飲み物は英語で書かなければなりませんね。  最も残念なのは、学校教育の英語は最終的にコミュニケーションのためではなく、 受験の一部として人を選別するためのものだと書いています。 アメリカ人にも日本の英語教育の問題を指摘されていますね。  私はあるMLに加入して、日本の英語教育はどうあるべきかという議論を 聞いていますが、日本の高校の先生方もやはり何人大学に合格させたかという点が 重要なんですね。大学受験にも成功して、かつコミュニケーションのとれる英語が できれば最高なんですが、英語といえば受験英語で、いざとなったらさっぱり会話の 出てこない日本人という問題はあいかわらず残っています。  彼が書いているように、外国語ができるのは格好いいからだけでなく、 役に立つからいいのですね。 日本の教育は役に立つ英語ができる子どもを育てればいいのです。 それと同時に世界にはいろんな国があるから、英語以外の言葉を知っておいて 損はないのです。