標本商ル・ムールト伝

おもしろかった奥本大三郎先生の本
でも、この本をおもしろいと思う人は多くはないと思う。
ヨーロッパのコガネムシは農家に被害を与える。
聖ヨハネの日(6月24日)コガネムシの大発生
雌は4〜6月に飛び、土中に約80個の卵を産む。
幼虫は、植木の苗、オオムギ、カラスムギ、サトウダイコン、イチゴ、
サラダ菜の根を成虫になるまで3年間食べ、大被害を与える。
農民はカトリック教会に頼んでコガネムシを破門してもらったが効かなかった。

ル・ムールトの父はコガネムシ駆除の研究をした。幼虫についたカビに目をつけた。
コガネムシ駆除事業で財産をなくし、一家は南米ギアナのフランス植民地に移住。
父がそこの監獄の土木課長となる。鉄道、病院、宿泊所などの建設の仕事。

アンリ・シャリエール「パピヨン」は救済諸島(ロワイヤル島、サン・ジョセフ島、
悪魔島)に島送りされた体験談。
ル・ムールトは秘書の仕事で流刑囚の郵便物チェックをした。

ル・ムールト初めてモルフォ・メネラウスを採る。偶然ぼろぼろになった
モルフォ・メネラウスを手にしていたら、別のモルフォが集まってきた。
囮採集法を学習する。

父親の休暇で一緒にフランスに帰ったル・ムールトは、ある有名な蒐集家に雇われ
劣悪な条件に耐えながら、採集の知識を学び、標本商になるための勉強をすることができた。

パリで植民地省土木局の資格試験を受けて合格した彼は再びギアナに向かった。
父の元で2ヶ月働いたが、希望を出して森の工事現場に転勤した。2キロの通勤は
採集によい。朝の採集、昼休みの採集、夕方の採集、羨ましい。
さらに彼は奥地に鉄道の保線工事で行く。新しい住居は高床式の小屋。
まさしく明かりをつければ夜の採集にこの上ない絶好の環境。とても羨ましい。
喬木のほばに櫓を組んで、徒刑囚を配置させ、美しい蝶を捕らせたという。
なんとも羨ましい。

島での囚人の水葬。4人の囚人が袋を持ち上げ海中に投じる。
サメが現れ袋にかみつき鋭い刃で切り裂く。中の死体をあっという間に食いちぎる。
「厳窟王」のようにはいかない。この島からの脱獄は無理だ。

土木局試験の日
答案の端をうっかり折ってしまい、監督者で答案を集めているポワンカレに
注意される。「ル・ムー君の答案は、こののままでは無効ですぞ」
「ル・ムールトは一人おりますが、ル・ムーはおりません。古いフランス語の
副詞で Moultはムールトと読んで『たくさんに』という意味です」と答えて
有名な数学者ポワンカレを怒らせ、答案は無効となった。役人としての出世は
とざされた。彼はあと2〜3年ギアナに留まり採集生活をおくってから、
標本商の店を開く計画を決行した。標本入手ルートも客も確保しているから
大丈夫。

雌雄型は作るもの? 糊付け。 生きている雌雄2頭をメスで切って、すぐ
雌雄を合わせると、くっついてしまうと書いてあるが。

宣教師たちが、教会、学校、孤児院を建てる資金に、子どもたちに昆虫を
採らせて、それを標本商に送る。なるほど。

ラオスに行く男にエンマゴミムシの採り方を教えて、1頭につき20フラン
払うと言った。間もなくラオスから千頭送られてきた。2万フランを送った。
電報で「1頭5フランにする」と送った。次には2千頭送られてきた。
「もういらない」と電報を送った。値崩れをふせぐため各国の博物館に寄贈した
のは頭がよい。最初の数頭だけ高値で買うのがよい。

ユージェーヌ・ル・ムールト 1882−?
彼のコレクションはベルギー王立自然史博物館に寄贈された。

この本の中に紹介されているのでおやと思ったのは
田中龍三コレクションを受け継いだ坂口浩平博士のこと。
ノミの研究というので、やっぱりあのシンガポールのセントーサ島の
昆虫博物館で見た坂口浩平博士のことだった。
家業の酒造会社の財産を使い切ったそうである。