なかなかユニークな本である。 常識を覆す本 というより著者にいわせると、彼女に近づいてきたり 利用しようとする、ある種の傾向の人たちがいて 彼らはステレオタイプであると述べている。 彼らは彼女を説得する。つまり日本批判をする。 ところが、この著者は違う。彼らの日本批判に同調しない。 そうすると彼らは著者のことを「同化している」とか「(韓国人としての) 自己規定ができていない」というそうである。 そういう人が、日本人の中にも在日の中にもいるという。 彼らはすべての在日が被害者の役割を果たしていると思いたいのだ。 そうして著者は、それと違うことを考えている著者のような 在日がいることを認めてほしいと思い、この本を書くようになったらしい。 1992年上智大学のシンポジウム 「どうすれば日本人が在日韓国人・朝鮮人と共生できるか」 に足を運んだ著者。 それは後日に著者はある大学の授業で、 マイノリティ・グループの構成員として、その実体を話すことになって いるから、そのスピーチの参考になる話が聞けるかと思って 上智大のシンポジウムに足を運んだ次第。 なお著者は上智大の大学院生である。 在日は差別され続けているというゲストに対して 著者は発言する。 「在日韓国人がみな、ゲストの○さんと同じ考えだとはかぎらない。 在日韓国人自身は、個々人で考え方が違うということを承知しているが、 日本人は、決まりきったイメージでひとくくりにして、 私たちを見ようとしている。これはとても困ったことであるが、 異なる考え方を個々人が持っているのだ、ということを表明しなかった 在日韓国人にも責任がある。 私はゲストの○さんの考えに同意しかねることもある。 問題提示にあたって、2つの重要なことがらを、もっと検討しては どうだろうか。 まず第1に、在日韓国人は差別されていると前提にしてしまうと 歪みが生まれて、問題が見えなくなるのではないだろうか。 もちろん、差別されていないというつもりはないのだが。 日本政府は、たしかに在日韓国人を法的に制約し、日本人と 同じように扱ってはくれない。しかし、日本に暮らす外国人はみな 同様に扱われる。私たちだけ特別に扱ってくれというのし、はばかられる のだと思うが、どうだろうか」 「強制退去のことだが、『協定永住者』の在留資格ができた1965年 以降、強制退去させられたという実例はない。1991年協議で 子々孫々の永住が認められるようになった今、○さんが何を言いたいのか 説明してほしい」 第2に、在日韓国人はつねに、日本政府と韓国政府の関係なしい 北朝鮮の動向に左右されざるをえないということである。 私たちはスパイ容疑をかけられやすいのである。友人の在日韓国人が 自分の意志で韓国に留学しようとしたが、両親が許さなかった。 日本にいるのと同じ調子で韓国にふるまっていたら、スパイ容疑を かけられるのを恐れたのである。スパイとして投獄された在日韓国人が かつて報道された。 日本の再入国許可さえ持っていれば、日本と韓国を自由に行き来できる 私たちが警戒されるのは当然である。指紋押捺もその点をふまえて 考慮してはどうだろうか」 シンポジウムにおける著者の発言は続く。 「在日韓国人児童の悩みに関しては、はたして在日韓国人の問題 ないし差別と一概に言えるだろうか。 子どもというのは、とかく違うということに反応する。 この点に関しては世界中同じと思う。その善悪ではなく、 往々にして子どもはそういうものではないだろうか。 その子どもたちの悩みにしても、差別を受ける前から、 在日韓国人だから差別されると決め込んでいるという可能性が あるのではないだろうか」 どうして、在日問題が南アフリカ共和国のアバルトヘイトと 同じことなのだろうか。 どうして、本名を名乗れないのが差別のせいなのだろうか。 本名を間乗れるということが、差別のないことなのだろうか。 どうして、在日だからという理由で、子どものうちから将来が 決まっているのだろうか。どういう将来が決まっているのだろうか。 子どもは、柔軟性に富んでいるから、周囲の大人に強い影響を受ける。 そこから、現実を過大にも過小にも受けとめる。そういうときに、 ちょっと違うかな、もう少し考えてごらん、というのが大人の仕事 だと思う。 子どもがそんなに悩んでいるのなら、それをときほぐすのが大人の 大事な仕事である。 なのに、大の大人が一緒になって、日本社会が在日差別に満ち満ちている かのようにいってみて、しかたがない」 さて会場の反響は違う反応をもたらす。この著者の発言は意外だ。 著者はゲストの発言の中で 首をかしげたくなったのは、同じマイノリティといっても 身体障害者と在日では問題の所在は違うはずなのに、ひとくくりにして 同列に並べて論じられたことだった。これでは、それぞれら何が 問題なのか、はっきりさせることはできない。 そして、著者の発言を聞いていたある人が言った。 「あなたは、はじめから上智なの」 著者が学部は慶応だと答えると、「やっぱりエリートには 不幸な人のことはわからない」と言われる。 ルールと民族文化 どっちが大事? 北京の大学に留学した留学生の話 その大学では、学生が当番で構内の掃除をする。 しかし絶対掃除をしないで帰ってしまう人がいる。 それは朝鮮系中国人男子学生である。 この話をした留学生「それに文句を言う学生はいないわ。 なぜなら男尊女卑は朝鮮族の文化なのだから」 著者は「大学の掃除はみんなで分担することだから、民族文化 とはべつに考えるべきでしょう」と言うと、彼女は 「中国は民族文化を尊重する政策を採っているのよ」と答える。 さて著者がその大学にいる朝鮮族の女性だとしたら、どう ふるまうだろうか。 「男尊女卑」は朝鮮特有の文化ではないが、事柄によっては ある民族文化と、その土地の慣習や公共の取り決めが 真正面から衝突することはありえる。 そういう場合に、一体どうしたらどちらも納得できるだろう。 どうやって、お互いを尊重しあうことができるのだろうか。 日本社会と在日社会のあいだで、そういう問題がおきたとはどうしたら いいのだろう。 「理解できれば大丈夫だというわけじゃない。お互いが妥協しながら ルールを作ったり守ったりすることだ」とアドバイスする人 一人の人間が、在日と日本人との両方の立場を経験することは不可能だ。 でも、避けなければならないことは、理解しようとする姿勢を放棄 したり、完全に理解できたと思いこむことだ。 「私が在日韓国人だというと、多くの人は私のことをむりやり日本に 連れてこられた韓国人の子孫だと思うようでした。 私が、祖父たちは仕事をしにやって来て、そのまま日本にとどまった んですというと、相手の人はとても驚くのです」 「日本人の中にある在日のイメージとは、世代によってだいぶ異なるようです。 60代から上の人たちの中には、在日は「攻撃的だ」というイメージ を持っている人もいるでしょう。一世の中には、第二次大戦後 まもない日本で好きなようにふるまった人もかなりいたと聞いています。 40代、50代の人となると、在日は可哀想だというイメージが 強いのか、在日の気持ちを理解していることを積極的に示めそうと する人が多いように思います。こういう人たちと接していると、 在日に対する差別があるから、あなたも大変だろうけど、私自身は そういう偏見の持ち主ではないから、安心して日本批判でもなんでも 話してほしいと、あっちからもこっちからも言われているようで、 なんと答えればいいのやら、わからなくなってしまいます。 20代や30代になると、過去の事情はともかく、いま現在は 当事者が在日であるこを選択しているのだろうから、相手が悩みを 訴えてこないかぎり、在日であることには触れないでいようという 立場をとっているように見えます。この世代の人たちは、 不本意ながら、在日に対して具体的なイメージを抱けないでいるからでは ないかと思います」 「あなたは日本とか日本人について、どのように考えているのですか と尋ねられこともあります。私についていえば、日頃いろいろな日本人と 接しているので、さまざまな考えの人がいるものだと思っていますし、 まっさきに考えるのは、この人とは相性がいいのだろうか、気が合う だろうかといったことです」 「日本観や祖国観、あるいは韓国に対する愛着ということに 関しては、やはり世代によってずいぶん異なるようだ。 韓国で生まれ17歳で日本に来た一世の父と、日本で生まれ 育った二世の母とでは見方が違う」 一億人を超す日本人をひとくくりにして考えることなどできず、 漠然とした日本人のイメージを相手にあてはめて、その人のすべてが わかるとは思っていない。在日についても同じことがいえるはず。 「在日だというだけでは自分を理解してもらえない」という三世の考えに 共感する著者。 −−−−−− 在日の結婚観 著者の母親は 韓国人との結婚を勧めない。 「どんなにソフトでリベラルな男性でも その人の親兄弟や親戚は違うのよ。 私ですら堪えられない『男尊女卑』の考え方に あんたが堪えられるわけないじゃない。 それに、韓国の親戚づきあいがどれだけ派手なものか、 よく考えてごらんなさいな。 私だって韓国へ行ったり、日本へ来てもらったり、一仕事よ」 著者の母親は、大阪生まれ。 祖父は日本で働いた方が稼ぎがいいと考えて日本にやってきた。 この時代に日本に来た人で、むりやり連れてこられたという人を 著者は知らない。 在日は強制連行によって日本に来た朝鮮人とその子孫だと 書いてある本を読んで驚いた著者。 少なくとも彼女の周囲には、仕事をしに渡ってきたか、朝鮮戦争を 逃れてきた人しか知らない。 苦労して働いた祖父は、それでも働けば働いた分だけ見返りは あって、最低限の生活基盤もできた。 家族を本国から呼び寄せた。妻と子ども二人が来日した。 これから祖父母は5人の子どもをもうけた。 終戦後、日本からの引き揚げが始まった。帰国を遅らせているうちに 帰らない方がいいと思い日本にとどまった。 その後の朝鮮半島の歴史をふりかえってみれば、日本にとどまったのは 賢明だったろう。朝鮮戦争が始まると、韓国に帰るどころか、 命からがら日本に渡ってくる人まで出てきたのである。 結婚適齢期を迎えた母は、お金持ちの在日との縁談があったがすべて 断った。パチンコ店、ソープランドの経営者の息子と一緒になるには 抵抗があった。なにより大阪以外のところで暮らしたかった。 大阪は良くも悪くも在日韓国・朝鮮人のネットワークが強い。 なにをしても筒抜けの社会だ。いつでもどこでも人の目がある。耳がある。 緊張の連続なのだ。 こうして母は、東京に住む大学に通いながらバーテンダーをしていた父 と結婚する。なにひとつ持たぬ父と結婚した母は、在日社会から 自由になり、ゼロから自分の生活を作り上げるつもりだった。 ところが 結婚したら、自由になるどころか、もっと窮屈なところに閉じこめられ ることになった。 父の結婚と同時に、父の両親は嫁を頼って息子夫婦の狭い新居で 一日中すごすようになり、やがて同居した。 息苦しい生活、舅姑から家の中では韓国語だけで話すように言われる。 産まれた子供の育て方でも舅姑の支配が続く。 いつも泣いている母親を見て育った著者 韓国式か日本式か 座り方 ・お祖母さんは片膝を立てて座りなさいという。母は正座しなさいという。 食事 ・お祖母さんはお茶碗を持ち上げないで、右手に持ったスプーンで食べるのだという。 ・母は左手でお茶碗を持ち上げて、右手にはお箸を持つのだという。 脱いだ靴 ・お祖母さんは靴のつま先を家の内に向けなさいというが、母は家の外に向けるものだという。 母の苦労の生活が続いて 著者が18歳の時 母は父に離婚を言い出す。 父は在留資格がなかった。でも、戦前から継続して日本で暮らしたことにより 永住を許可されていた母との結婚で、在留資格と在留期間の心配を せずに暮らせるようになった。 母は言う。私は十分あなたの役に立ったでしょう。 これからは自分自身の人生を生きたい。 父は答えた。息子が高校に入ったばかりだ。 息子が高校を卒業するまでの3年間だけ我慢してくれないか。 そして、3年間の間に事態はどんどん変わる。 祖母はとうに亡くなっていたが、祖父も亡くなった。 好景気にのって一軒家に住み、家族5人が水入らずの生活が始まった。 弟が無事高校を卒業して大学に入った。 いつのまにか、ありきたりの平々凡々とした幸せな家庭になっていた。 娘の手紙を読む父親 韓国育ちの父親にしてみれば 娘に届いた手紙を無断で開けてみるのは 父親の仕事。 で娘に怒られる。 そうしたら怒り狂う父親 「家族のプライバシーなんていらないんだ。欧米の個人主義をふりかざして.... 子どもに部屋を与えたのが間違いだった」 ここに 50年前の韓国での体験を持ち出す父親と 日本の考え方を持ち出す娘 どちらが間違っているわけではない。 それぞれの考える常識が異なるのだ。 どんな家庭にも親子の価値観は異なるだろう。 世代が違えば、ものの考え方も違ってくる。 さらに、著者の家庭では、一つ屋根の下に2つの国の異なる時代の 価値観とか常識が存在しているのだ。 著者の父親には、自分もそういう体験があったという。 母親が言う 「パパはね、自分宛にきたラブレターを父親に読まれても、 なんにも思わなかった人なんだから」 驚く娘に母が言う。 「私がここにお嫁にきてからの話だけどね」 ある日、父宛に一通の手紙がきた。父が母と結婚する前に交際してた 女性からのものだった。 ところが本人がそれを読む前に、父親が開封して読んだのだそうだ。 母の実家ではそんなことは絶対なかったことだ(母は在日二世)。 母は驚いて、どうして怒らないかと聞いた。すると父は、いやべつにと 答えたものだから、母はもっと驚いたという。 父は、自分がされても腹が立たないことは、子どもにしても かまわないと思っているのだろう。 それ以来、母が一番最初に郵便受けをのぞくようになったという。 父親は韓国の田舎で育って、村人全員顔見知りで、隠し事など もちようがなかった少年時代をおくったから。 いっぽう母親はその在日生活も日本の都会でおくったから いっそうプライバシー保護の恩恵も受けたのであろう。 先祖供養 年に8回もある法事 1年に6回おこなうという祭祀(チュサ 儒教にもとづく祖先崇拝のための儀式 で、祭物を備え、酒を献じる)をなんとか簡略化できないものかと 著者と母と妹が相談しているとき 跡取り息子の弟が「しばらくは今のままでいいだろう、俺が結婚したら 俺がするんだから」と口を出してきた。 そこで彼女たちが怒る。 「男のくせに生意気なことを言わないでよ」 女三人は祭祀で供える料理のために1週間前から支度を始めるというのに 父や弟は祭祀のセレモニーを行うほんの数十分だけ、自分の時間を 削ればいいのである。自営業の父に問題はないし、在日韓国人系の 信用組合に勤める弟も、祭祀があるといえば休みを取れる。 アンタは何もしないでしょ、アンタのお嫁さんがするのよ。 結婚してくれる相手を見つけてからいいなさいよ、などと言う 女たちの声を聞いて、こんどは父が口をはさむ。 「おまえたちなあ、祭祀の料理ができれば、どこへでも嫁に行けるんだぞ」 著者と妹が同時に声を上げる。 「誰が結婚してまでやるものか」 祭祀のための料理ができるかどうか。これは在日同士が結婚するときの 大きな問題である。祭祀を重んじる家ならば、お供えの料理が 作られなかったり、あるいはしないという女性を嫁にもらい たがらないからである。 著者は母のために妹と料理の手伝いをしている。母が一人で支度を するにはあまりにも大変で、寝込んでしまっても不思議でないから。 英国留学した妹でさえ、年末年始には帰国したのだ。 単なる里帰りではなく、祭祀を手伝うために。 韓国人にとって、祭祀は絶対にとりおこなわれねばならない行事なのだ。 これには「家祭」と「墓祭」がある。 家祭は文字どおり各家庭でおこなわれるが、韓国は父系社会であるから、 母方の祭祀はしない。祭祀の義務と権利は父から長男に受け継がれる。 もし娘しかいない場合、家系が断絶することになる。 あくまでも血統主義だから。日本のように娘婿を養子にするという 発想はない。家を絶やさないためには、たとえば兄弟の息子を 養子にもらうのが一つの方法だ。 家祀は正式には「四代祭祀」という。 その対象は父母、祖父母、曾祖父母、高祖父母の四代までさかのぼる。 ただし近代化に伴い、祭主の二代目つまり父母と祖父母だけを対象に 祭祀をすることが認められている。 著者の家もしたがって二代祖までの祭祀をとりおこなっている。 家祭は「忌祭祀(キジェサ)」と「節祀(チョルサ)」に分類される。 忌祭祀は、つまり亡くなった人の命日に行う法事のこと。 命日の午前零時からはじめ鶏が鳴く前に終えなければならない。 二代祖までさかのぼるのであるから、1年に4回の忌祭祀がある。 節祀とは、元旦とお盆にする法事である。いずれも旧暦で行う。 旧暦の1月1日と旧暦の8月15日の2回となる。 お祀りする祖先は忌祭祀と同じなのだが、時間帯が異なり、 朝にとりおこなわれる。 これらは旧暦で行われるから、新しいカレンダーは旧暦も書いてある ものを用意するのに疲れる。 さらに著者の家では、父親に養祖母もいたから 2回増えて 合計8回の祭祀を毎年しなくてはいけない。 そして著者の家では、祭祀の時間帯も近代化した。 忌祭祀は命日の夕飯時 節祭は午前中にすることにした。 墓祭とは、お墓参りのこと。 正式には毎年1回、旧暦の3月か10月の決まった日に 親族一同がお墓のある山に集まり、始祖から順に回ってお墓参りを する。 墓祭の対象となるのは、家祭の対象となっていない先祖であり、 二代祖までしか家祭をしないのであれば、三代目祖以前のすべての 先祖のための祭祀をすることになる。 著者の家では、近代化をはかって、韓国には行かず、毎年新暦の 元旦に日本にある父の両親の墓参りをしている。 祭祀には時間もかかるがお金もかかる。 お供えの料理の内容を見れば、父の会社の景気の善し悪しがわかる。 果物が3種類しかないときは会社が苦しいとき、果物が7種類あるときは ゆとりのあるとき。 女たちは1週間前から材料の仕入れであちこち走り回る。 肉屋、鳥肉屋、魚屋、八百屋、果物屋。必要に材料はあらかじめ注文 しておくが、手には入れはいいというものではなく、お供え物だから 一番いいものでなければならない。 近所で絶対調達できないものが3種類の餅。きなこ、あずき、緑豆 のあんこのお餅。 著者の家の場合の祭祀の料理 小麦粉をまぶし、卵をからませ、ごま油で焼くものは 牛肉、鶏のささみ、海老、明太子、甘鯛。 ニラ、白菜をお好み焼き風に焼く。 焼き魚は、鯛、ニシン、イシモチ。干した明太子。 蚫と蟹。蒸した鶏を丸一羽。ごま油で焼いた豆腐。 醤油で味付けした焼肉。 牛肉とタマネギ、豆腐のスープ。大根とほうれん草とワラビのナムル。 生栗(韓国は生栗を食べる習慣がある)。ナツメ。クルミをはさんだ干柿。 果物はバナナ、リンゴ、ミカン、ナシ、カキなど、季節に合わせて5種類か7種類。 お餅は2種類を家で作って買った餅と合わせて5種類にする。 そしてご飯。お酒も用意しなければならない。 忌祭祀のとき、女たちは朝から台所にはいる。 料理をするといってもお供えものであるから、ご先祖様より 先に食べるわけにはいかない。食事をする時間もなければ 食べるものもない。台所でスポーツドリンクを立ち飲みするのが 精一杯。 夕食時にセレモニーを終えてから、やっと座ってまともな食事ができる。 しかしそれはつかの間の休息。後かたづけが待っている。 料理を祭祀用の食器からお皿に移し冷蔵庫に入れ、調理器具、 総勢10人が飲み食いに使った食器を洗わなければならない。 気がつくと夜は明け、空は白み始める。男たちが起きてくるころ 女たちの仕事はやっと一段落する。 大晦日から元旦は特に忙しい。 墓祭のほかに新暦の元旦も祝うから、お節料理も作らねばならない。 初詣にも行かなければならない(日本人になっている)。 両親は歩いて3分の神社に行き商売繁盛家内安全のお参りをする。 著者と兄弟たちは友人と一緒に明治神宮に行く。 元旦にはトックという韓国のお雑煮を作る。1月2日は日本のお雑煮を 食べる。 すべての祭祀の料理は女たちが作り、後片づけまですが、セレモニー そのものには参加できない。見ようによっては、これほど 男尊女卑はない。しかし、著者は男尊女卑とは思わない。 いっさいの祭祀をやめることは簡単。女たちが料理をしなければ 終わり。だから事実上、祭祀の決定権は母が握っている。 父が母の機嫌を損ねようものなら祭祀はできない。 皮肉なことに、男尊女卑を成り立たせるため、父はフェミニストになった。 −−−−−− この本のあとがき 書いているうちに思ったことがいくつかあります。 日本が閉鎖的だというのはよく耳にする話ですが、それは本当でしょうか。 三世の私はもちろん、一世や二世をきちんと受け入れている日本社会も ちゃんとあるのです。 私は、日本のことを悪いようにばかり言っている日本人が、 ちょっと苦手になってきています。帰化しようと思っている私は 「こんな悪い国の人間になりたいだなんて、どうかしているね」 と言われてしまいそうです。日本人ならこのように感じるはずだとか、 こんなことを言わなきゃいけないという約束でもあるかのようです。 私は、むずかしい話ができるような資格はないのですが、日本と韓国 との関係を身近な問題として考えることはできます。 はっきりといえば、加害者の日本人、被害者の在日や韓国人という 図式はあまり好きになれません。ひどいことをしたといいたい日本人の気持ち、 ひどいことをされたといいたい韓国人の気持ちはとてもわかるのですが、 お互いの感情をむき出しにすることは、どちらの国も我慢してほしいと 心から願っているからです。
この本を読んで目が覚めた思いがした。
確かに在日といっても、その人の生い立ちとか現在の社会的地位などで
価値観とか日本文化の理解度は異なるだろう。韓国にも日本にも身を置くことが
できてみて両方の文化の違いを感じながら、しかし日本文化の影響を
強く受けている自分を自覚すると、このような考えになるかもしれない。
もちろん過去の日本の行いがそれで肯定されるわけではないが、過去があって
現在の著者たちの生活があるわけで、未来を見つめることが今後大切になるだろう。