鄭大均:在日韓国人の終焉、文芸春秋

まじめな本で、在日は速やかに日本に帰化せよと説く。

1999年の統計 日本に生活する外国人登録者155.6万人
その登録者のうち最も多いのは韓国・朝鮮籍63.6万人で
その大半は特別永住者の51.8万人である。オールド・タイマー
(古参の在日) 残りの約10万人の大部分は韓国系のニューカマー
である。これに不法滞在者など含めると韓国からやってきた韓国人は
もっと増えるだろう。

「今日の在日韓国人に見てとれるのは、韓国籍を有しながらも
韓国への帰属意識に欠け、外国籍を有しながらも外国人意識に欠けると
いうアイデンティティと帰属(国籍)の間のずれであり、
このずれは在日韓国人を不透明で説明しにくい存在に仕立て上げている。
では、どうしたらいいのか。そのアイデンティティに合わせて帰属を
変更すればいい。日本国籍を取得して、この社会のフル・メンバー
として生きていけばいいのである。」

著者は日本、アメリカと研究する土地を変え、その後に韓国に日本語を
教えに行った。そこでの生活体験が著者の意識を変えるもとになったらしい。
韓国は日本やアメリカにくらべると、公平さや公正さに欠けていた。
知識人の間にナショナリズムが蔓延していた。いらいらして生活した
著者が日本に帰ってきたら、不快なことも緊張感も減った。
日本人も著者も変わった。その目で在日のことを見つめなおした本である。

「日本生まれの在日韓国人が韓国籍を維持しながらも、韓国に無関心である
のに対して、本国の韓国人は韓国人としての自己や韓国や韓国文化とのつながり
の中で確認し証明しようとする。いいかえると、本国の韓国人は彼らが韓国人
らしさと考えることを実践しない者を韓国人とは見なさない。在日韓国人の
ように、言葉も喪失し、ソウルや平壌というよりは東京を中心にして世界を
考えるような人間は、もはや韓国人とは見なされないのである。
私たちの相互作用の相手がこのような韓国人であったとき、『私は韓国人である』
という自己同定にゆらぎはないのだろうか」

在日韓国人対日本人 在日韓国人対アメリカ人  在日韓国人対韓国人
著者はオールド・タイマー(古参の在日)の韓国人の歴史はもうこのへんで
幕をおろすべきだと考えている。ただし、在日韓国人そのものは、韓国からの
ニューカマーの流入がこれからも続くのであるから、存在するだろうという。

日本で暮らし、ある程度成功者として認められた在日韓国人
たとえば、つかこうへいも韓国に招待されて行ったのにもかかわらず
大変不愉快なめにあって怒る場面がある。
もはや、日本育ちの在日の文化は日本に近く、日本を批判するごとく韓国を批判しよう
とすると、日本では認められている自由が、韓国ではなかったりして
とまどうようである。

<日本にいる俺達は幽霊みたいなもんだ。日本人じゃない。かといって
韓国人でもない。実体がないんだ。口先じゃいい事言うさ。祖国がある。
民族としての誇りを持て。冗談じゃない。俺達ゃ日本で暮らしてるんだ。
祖国や民族がメシを食わせてくるれかい?韓国でデモがあった。ああまたか、
としか思わない。言論の自由をと新聞に出る。どうでもいいや、と思うだけだ。
だから朴大統領が暗殺されたときも、俺は驚かなかったよ。何故だか解るかい?
そんな事で俺の給料は増えもしなけりゃ減りもしないからさ。俺には関係が
ないんだ。日本で忘れ去られてる俺にはね>(李起昇『ゼロはん』講談社)

・在日韓国人は韓国籍を有するが、韓国への帰属意識が希薄である。
  (紙切れだけの韓国人)
・在日韓国人は韓国籍を有する外国人であるが、外国人意識が希薄である。
  (紙切れだけの外国人)

在日韓国人は韓国の国籍をもっている。在日韓国人が日本の外に出るとき、
韓国政府発行の旅券を所持してる。たとえば、再入国許可をとって
アメリカに行き、そこで犯罪を犯しアメリカから強制撤去される事態が
おきたときは、その送還先は、その者の国籍の属する国である韓国という
ことになる。
韓国籍を持っているということき、また韓国に居住権があることを意味する。
在日韓国人は実際ビザなしで韓国に入国し、1週間の観光旅行の後に
日本に帰ることもできれば、そのまま居着いて一生を韓国で暮らすこともできる。
しかし、国民としての権利を行使し義務を果たすことのできる人のみを
本当の韓国人というのなら、在日韓国人は本当の韓国人とは言えない。
韓国に居住権があるといっても、実際には在日韓国人の大部分は韓国の外に
居住しているのであり、納税しているわけでもない。
韓国に住む場合でも、外国人ではないから外国人登録の義務はないが
本当の外国人のように住民登録をすることもできない。国外に永住権を
もつ者は住民登録の手続きができないから、選挙人名簿に登載されることは
なく、したがって選挙権を行使することもできない。また、国外に永住権を
持つ者は兵役義務からも免除されるから、この点でも在日韓国人は
本当の韓国人とは区別された存在である。

1952年 サンフランシスコ講和条約で、旧植民地出身者やその子孫が
日本国籍を喪失し、外国人としての生活をはじめた。
1982年 社会保障の適用や行政サーピスの受益等において永住外国人と
国民との間に区別がなくなった。協定永住を申請しなかった者に特別永住
の道が開かれた。

民団(在日本大韓民国民団)と総連(在日本朝鮮総連会解)
その対立 これは自明のことなのだが、在日の参政権とか教育についても
考え方が違うみたいだ。

ニュー・カマーの在日僑胞(在日韓国人)の印象 
・在米僑胞には関心があるが、在日僑胞には関心がない
・日本人よりぜいたくな暮らしをしているようにみえる
・金はあるが文化的ではない
・日本人より道徳性に欠ける
・実質的に日本人と変わらない
・なぜ韓国籍をもっているのか理解できない
・在日韓国人は自分たちを避けているようにみえる
・在日僑胞より日本人の方がつきあいやすい

在日韓国人のニュー・カマーや韓国人留学生の印象
・関わりをもちたくない
・金儲けのために来ている
・留学生をアルバイトで使ったが、真面目に仕事をしない
・すぐ職場を変えようとする
・日本にきているのに日本の流儀を学ぼうとするのではなく、自分の流儀を主張しようとする
・民族主義が強い
・同胞だから世話をされて当たり前という態度がある
・見下したような態度がある
・私たちの職域を侵している

実は、在日の人が韓国に行って感じる
カルチャーショックや不満怒り
そして
韓国人が在日に対するねたみ
などを読むと同様のことが書かれている。

「在日韓国人が韓国籍を維持したまま生きるということには歴史的、道徳的意味
があるのだという人がいる。
だがもはや、私の考えでは、在日韓国人が日本で生活していることに深い意味や
特別な意味はない。在日の一世たちは朝鮮半島よりは日本を生活の地として
選択したのであり、その子孫である私たちもそれを受容しているだけの
ことである。そして私たちはこれからも日本で生活していかなくては
ならないことを知っているし、日本で生活するからには日本国籍が必要な
ことも知っている。私たちはだから、私たちの存在が日本という国の
集団アイデンティティにとって重要であると信じているほんの一握りの
使命感あふれる人々のために外国人を続ける必要などない。
つまり、在日韓国人は「永住外国人」などという宙ぶらりんな存在
としてよりは、日本国籍を取得して、この社会のフル・メンバーとして
生きていけばいいのであり、そのために必要なら帰化手続きの弊を指摘
すればいいのである。本書は在日が存在理由をなくすために書いた本である。」

「重要なことは、私たちは外国籍を持つ限り、政治的な権利から遠ざけれる
というだけではなく、責任や義務の感覚からも遠ざけられてしまうという
ことである。加えていえば、私たちは国際社会、グローバル化社会の中で
生きているにしても、生活や行動の実際的な単位となるのは国民国家という
政治的な枠組みであり、国民国家体制とは国民間の競争や競合を前提にする
ものである。いいかえると、私たちは日本国籍を持たない限り、内国人との
完全な機会や権利の平等を獲得することができないのであり、これは逆に
いうと、日本国籍を取得すれば、参政権や公務任用の問題は自動的に解決
するものである。また、そうすることによってはじめて私たちは
ハンディキャップゆえに同情される人間でも、特権ゆえにねたまれる人間
でもない普通の人間としてこの社会で生きていくことができるのである。」

頼まないのに押しつけをする応援団のいうことは、そろそろ相手にせず
自分たちの将来のために帰化しようという本でした。
在日の人にも色々な考え方があるということ。