彼女が子どもの頃、両親から日本人はとても親切だった、日本の生活は良かった
と聞かされてきたのに、小学校に入ってから学校教育で「反日教育」「反共教育」
を受けてから日本は韓国に対して侵略した事実を知り、
日本人を恐れ嫌うようになっていったという。
こわごわ日本留学した著者が、自分の体験から日本人はとても親切だということに
気がつき、自分の受けた「反日教育」とは何であったのだろうかと思うことから
一連の作品が書かれていったのであるが、この本ではどうしてそうなったのか、
具体的な生活における日本人と韓国人のつきあいを実証しながら、
個々のケースで日本人と韓国人の間に信頼関係があったのに、公的に
韓国人は日本人は韓国を侵略したのみで良いことは何もしなかったと考えている
その理由について、日本人と韓国人の精神構造に及んでいる。
どうやら韓国の「反日教育」は政治的な目的の教育のようである。 そこには著者もいうように世界史的な観点が欠落している。 明治維新当時の世界史、特にアジア史をみれば韓国は急速に近代化 すべきであったのに頑迷に鎖国をしつづけていて、そのままだと 朝鮮半島が帝国主義国の植民地にされ、日本にとっても不安が増す。 そのような時代背景があったから、日本が新しい東アジアの秩序を 作ろうとした歴史を、どうやら韓国の歴史では教えていないらしい。 もっとも北京政府の作る教科書でも、似たような問題はありそうである。 この著者は、韓国の教育で受けた「日本人の侵略的民族資質」については 日本に来て自分の体験とはあまりにかけはなれた、ものの見方である ことに気がついて、では日本の統治時代に暮らした人々は 本当はどうだったのか、実際の生活体験を聞いてみようと思うにいたった。 自分の親は、当時の日本人はみな良い人だったと言うので、当時の ことを自分の体験に基づいて話してくれる人を求めて、調査するにいたったのである。 親しき仲にも礼儀あり 日本人 親しき仲には礼儀なし 韓国人 当時を知っている高齢者に一人一人あたって、聞き取り調査をしたところ 日本人は全員みな当時の韓国での生活は日本人にも韓国人にも平和で 仲良くできたから良かったということであった。中には日本の統治の 問題点をあげている人もいたが、全体としては日本人も無理なことは せず、彼らの所有物を収奪することもなく、支払うべき賃金も滞りなく払い、 韓国人もできるだけ友好につとめ平和な共存生活をおくっていたと述べている。 これに対して、統治時代を全面的に肯定している韓国人はわずか一人、 彼は日本人上役が自分の徴兵に対して強く働きかけて、おかげで徴兵を逃れる ことができたという事実があるから完全に日本人を信頼した話になっている。 あとは、部分的に肯定するが公的には日本は悪かったということを 付け加えることを忘れない人たちばかりだ。聞き取り調査に家族が同席したり して気兼ねがあったかもしれない。 そういう日本人批判を述べる人たちも、昔の同窓会などには、日本人との 交流を楽しむためいそいそと参加するのであるが。 自分のまわりの日本人はみないい人たちだったが、日本人全般はよくない。 これは韓国人特有の言い方である。 直接知っている日本人はみな良い人たちであったが、政治や制度的な日本は 悪かったとするのが公式な発言になるようである。 日本統治の大半は悪かったが、中には良いものもあったとしても、それを公的に 認める民族ではないようだ。他の本でも別の韓国人がこのことにふれて 率直にものを考えるべきであると指摘するが、なかなか直らないみたいである。 この本には、具体的に大学にどのくらい朝鮮人が入学できて、銀行に就職した ときは賃金はいくらであったとか、子どもどうしで喧嘩をしたことや 友だちの朝鮮人の家に遊びに行ったとき食べ物はどんなものをご馳走になった とか、きわめて具体的に書かれている。 だから、科学的である。実証的であり、こうあるべきだという観念的なことは なるべく書かないようにしている点に好意がもたれる。 創氏改名は「しなくてはいけない」制度ではなかった。 そうではなく、「創氏改名への道を開く」制度だった。 この問題が出てきたのは満州国ができてからのことだった。 できた満州に日本人も多く行ったが、朝鮮人も多数移住した。 朝鮮人も日本国民だったが、中国人や満州人は朝鮮人を下にみて かなり差別的な行為をしていた。外見だけ見ると、朝鮮人も日本人も 変わらないから、中国人や満州人は、朝鮮式名前で判別していたらしい。 そういう背景から、満州在住の朝鮮人たちの間で日本人の名前をつける人が 多くなったようである。その後、満州だけでなく、内地でも朝鮮でも 日本名前を名乗る朝鮮人はかなり出てきたようであった。 支那事変が起きると「内鮮一致」つまり「日本と朝鮮は一つだ」という スローガンが出てきた。国内の結束を一段と強化しようとする動きが でて、それならば戸籍も日本流に改めたほうがよいというふうになった。 朝鮮人からの要望もあって、創氏改名をしてもよいということになった。 これは当時の警察に勤務していた日本人の聞き取りからである。 警察は無理に創氏改名の指導はせず、希望しない者は朝鮮姓のままであった ということであったが、実際に朝鮮人からの印象では、直接接する下級役人 が、創氏改名しない朝鮮人に圧力をかけたり就職が不利になったりするから やりすぎたのであろう。 せめて、満州で暮らす朝鮮人の中で、希望する者だけに限定しておけば よかったのに。