2002年9月17日、小泉首相は平壌を訪れ、日朝国交正常化交渉にむけて
話し合いがもたれたが、その中で北朝鮮は拉致された方々の安否について
8人死亡という衝撃的な回答を出した。
こんな回答をする国に、巨額の援助を与えていいのか。
と怒る著者を、知って知らずか、北朝鮮は観光団体に加わり見学することを許可した。
「エアコンの利かぬロシアのジェット機は焦熱地獄早く降りたし(飯田正夫)」
平壌のホテルの冷蔵庫は使えなかった。
地下鉄栄光駅には乗客はちらほら。入ってくる車両の室内灯は半数は切れたまま。
祖国解放戦争勝利記念館の説明文に、8月15日米軍仁川上陸と書いてある。
著者が「これ間違っているよ」といってもとりあわない。
帰国して調べたら、仁川上陸は1950年9月15日だった。
戦勝場面のみ強調されて展示され、中国が加勢したことは一言も触れていない。
朝鮮戦争は、「祖国解放戦争」と呼ばれている。米軍の侵略をうち破って
勝利したという。中共軍が大挙して援軍を投入しなければ、どうして元の地域まで
追い戻すことができたのか。武器や食料の補給はどうして可能になったのか。
なぜ初期に釜山の近くまで南を追いつめることができたのか。戦局の推移に
辻褄が合わない。ソ連と中国の援助のおかげじゃなかったのか。
彼らは一切そのことを口にしない。
通勤の姿を観察すると、車やバイクはなく、ほとんどの人は歩いていた。
自転車もごく少ない。
「健康のために歩くことが推奨されています」
(なるほど、ものはいいよう)
古い映画を見るように、ボンネットのトラックの荷台に、人が鈴なりになっている。
人を乗せたまま故障しているのが何台かあった。
ロシアの飛行機で白頭山へ飛ぶ。
飛行場内にはどっしりした応接セットだけの待合室、天井燈は一つしか点灯せず、
隣の応接室は全く燈がつかない。別棟のトイレに行くと、小径は舗装もなく
断水していて大便器は使用不能だった。断水は数日続いているらしい。
第一章は、朝鮮民主主義人民共和国 これは上に紹介したとおり。
第二章は、中華人民共和国 大連の見学。
第三章は、北朝鮮の現状分析 辛口の内容。
第四章は、日韓併合の軌跡
ここでは日韓併合以前の外国人による朝鮮レポートを整理している。
ロシアの「韓国史」1905
シャルル・ダレ「朝鮮事情」
イザベラ・バード「朝鮮紀行」 1894−1897の旅行記