「文化人の見た近代アジア」シリーズの4巻にあたる。
このシリーズは、大正期から昭和戦前期までに刊行された、
作家・画家・ジャーナリスト・外交官などの文化人による
アジア(樺太・千島・朝鮮・中国・モンゴル・台湾・南洋群島・東南アジア・
南アジア・中近東)の旅行記・ルポルタージュなどの単行本を精選し復刻したもの。
張 赫宙は明治38(1905)年に大邱で生まれ、大邱の官立高等普通学校を
卒業して、昭和2年から7年まで慶尚北道の山村で教員生活をする。
処女作は「白楊木」だが、「改造」第5回懸賞に入選した「餓鬼道」で
朝鮮人作家として世に知られるようになった。
この作品は、著者が体験した朝鮮の農村の悲惨な生活を世に訴えたいという
プロレタリア文学的発想から書いたものであるという。
戦後には妻の国籍をとり日本に帰化して、作家活動を続け
平成10(1998)年に高麗神社のある埼玉県日高市で亡くなった。
プロレタリア文学的な作品から、いわゆる「同伴者文学」的な作品を書くようになり
日本文壇における朝鮮人作家という貴重な存在であったが、
時局の流れに迎合した軍国小説「岩本志願兵」などの国策物を書き
「内鮮一体」論に同調したかのようにみなされ、戦後の文壇から抹殺された
ようである。
当然のことながら、「親日」か「反日」に分ける韓国文壇にあっても、典型的
「親日」者とみなされ、まったく無視されているようである。
図們江(T豆満江)や満州の旅行記は今読んでも興味深い。
阿片吸煙所を希望して警察のはからいで見学すると、そこで働く満人から一服
吸うことを勧められるが、著者は断る。
ここは無登録者出入禁止となっていて管理されていた。
満州国明月溝から白頭山に入った処に、金日成を隊長とする
反満抗日第八聯軍(東北抗日聯軍)が蠢動(しゅんどう)していると、そう述べている。
満州に移住した朝鮮人も日本人開拓団のように苦労していたが
特に北満の朝鮮人移住者たちに苦闘の姿を感じた著者は
朝鮮総督府の関係の役所がもっと積極的な支援してくれたらいいのにと書いている。
春香伝について述べてあるのがおもしろかった。
厳しい冬が去って楽しい春がやってくると、朝鮮半島の人々もうきうきと心がはなやいでくる。
まことに春の力は偉大なもので、春を悩ましく思う夢龍は楼上で酒をくみ詩を吟じて
いるとき、美しい春香の姿を見つけて胸が躍る。
春香も春の愁いに悩まされ外をさまよい歩くとき若い男性夢龍を見る。
そして、夢龍の使いが手紙をもってやってきて、しばらく対応せず夢龍を焦らせた後
二人は会うことになり将来を誓う。
しかし、夢龍が両班という特権階級に属して地方長官の息子でなかったら
春香が妓生の娘でなかったら、つまりただの庶民の若者と娘だったのなら
封建時代の朝鮮では、男女の恋愛はむろんのこと、交際すら絶対に許されなかったのである。
父親の栄転により去っていった夢龍がいずれ出世して迎えに戻って来るという約束を
固く信じて、その後の困難な出来事に耐え、ついに春香は夢龍と結ばれるという朝鮮民族の名作。
この作品は、朝鮮の昔の社会制度や人情や風俗が非常によくわかる話で
朝鮮半島の人たちだけでなく、日本人にも日本や日本人を考えるきっかけとなると思う。
当時毎年春になると、農村の娘たちが家出をするニュースが新聞を賑わすという。
まことに、春のせいで、春になると何か明るく花やかなことがあるに違いないと
憧れるままに家出をするのは、現代の日本もそのとおりであろう。
暗い寒い厳しい冬には家出などしないものである。