姜信子 日韓音楽ノート  岩波新書 542

「わたしは、歌すら通い合わないような日韓のあいだの断絶を埋めたい
と思いました。ただ、それを日韓交流だとか、日韓の相互理解だとか
いうふうに美しい誤解をされてしまうと少々困ります。
日本人として、あるいは韓国人としてではなく、そのどちらにも
居場所を持たない旅人の立場から、私は日韓のあいだの断絶を
埋めてみたいと思ったのです。
日韓の文化的混血児であるわたしは、ともに純潔志向の強い日本でも
韓国でも不順な異物でしかない存在です。だから、日本人の立場にも
韓国人の立場にも立ちようがありません」

現地で、集めてきたデータ、孤軍奮闘してたどりついた考えなど
ユニークに内容の本。
ここに書かれてある「天然の美」の替え歌は現代韓国にはないといいながら
著者はのちに中央アジア(カザフスタン)にそれを確かに確認している。
だから、まだまだ知られていない事実はあるだろう。
 *日中戦争の時、スターリンによって、ロシア極東からカザフスタンに強制移動させられた。
  「天然の美」は、替え歌として「故国の山河」という望郷の歌になっていた。

日本では「演歌の源流は韓国」というのが常識
しかし、韓国では「演歌の源流は日本」という人たちと
「韓国の演歌は韓国人の心を歌う伝統歌謡だ」という人たちがいる。
ポンチャック論争はいまだに続く。

(韓国音楽学者によるコンサート「日韓唱歌の源流をたずねて」
日本は、韓国での学校教育を通じ、日本人が作曲した日本唱歌と日本から輸入した日本化された唱歌だけを
普及させた。
これを聞いた著者は考える。
日本も韓国も、讃美歌や西洋音楽の学校唱歌といった洋楽を唱歌の出発点としている。
在野の憂国の知識人たちは、近代国家としての韓国をつくる運動をプロテスタント教会を拠点として行ったから
洋楽のメロディにのせてナショナリズムを歌いこんだ唱歌をつくった。
また、日韓両国で歌われる洋楽は五音階が基本である。日韓両国民は五音階を好んで受け入れた。

「日韓唱歌の源流をたずねて」では
讃美歌「主われを愛す」や「英国国家」、「蛍の光」などが、日韓併合以前の共有のメロディとして紹介されている。

日韓の演歌も 日韓の唱歌の流れの延長線上にある。
  (端的にいえば 演歌は 日本の唱歌の延長にある。 五音階は 遺伝的に日韓両国に受け入れられた)

チョウ・ヨンピルは 日本ではアリランの調べを背に登場し。「釜山港に帰れ」を歌う。
韓国では バンドをしたがえ、エレキギターをかき鳴らしながらロックを歌う。

長恨夢
1913年 毎日申報で金色夜叉の翻訳として紹介。
しかし、原作は公表しなかったらしい。
いまでも韓国人は、長恨夢の方がオリジナルで金色夜叉がコピーと
思っているそうな。 スイルとスネはハッピーエンドになる。
(春香伝のような伝統) テーマ曲の長恨夢歌は大流行。
知識人たちが、伝統民俗芸能パンソリ「春香伝」を批判した結果
新しい楽しみを翻訳物に求めたからという。
たぶん、日本統治者たちもこの翻訳の新聞掲載を黙認したのだろう。

希望歌 別名絶望歌
七里ヶ浜の哀歌(真白き富士の嶺)

李美子(イミジャ)韓国の美空ひばり
トンベクアガシ 彼女は言う。ライバル会社の中傷により放送禁止にされた。
だが、大統領官邸に招かれて、朴大統領の前で歌った。

「わたしの歌は 倭色ではありません。韓国の伝統歌謡です。わたし自身にもいちばん歌いやすいタイプの歌だし
...みんなが聴きたがったのです。 なのに、禁止された裏には、レコード会社間の競争があったのです」