野村進 コリアン世界の旅、講談社

著者は温かい目で、在日韓国・朝鮮人たちの現実を見ている。
芸能界やスポーツ選手に少なからずいて活躍している在日の人たち。
なんとなく聞いたことのある噂が、ここでは活字となっていた。
彼らの悔しさや悲しさを、たんたんと代弁する著者には激情がない。
逆に激情がないから、読む人を静かに説得すると思われる。

韓国から帰化した日本人であることを隠そうとしない「にしきのあきら」 息子を背負いながら小畑実「勘太郎月夜唄」を歌う父、 そのとき「にしきのあきら」は小畑実が帰化した同胞とは知らなかった。   (小畑実は「高原の駅よさようなら」が有名) しかし、芸能界では 都はるみが韓国人の父親の存在をためらいがちに語ったり、松坂慶子の 父が自ら韓国の出身であることを著書に記している以外は、依然として タブー視されている。 プロダクションも、所属タレントに帰化をなかば強制的に勧め、韓国人の父親 が存命中にもかかわらず「幼いときに父は死にました」と言わせ、在日韓国・ 朝鮮人団体とのつき合いも断ち切らせてきた。 力道山を日本人は「国民的英雄」とよんで喝采をおくっていたが 韓国・朝鮮系の人々は「民族の英雄」とよんで溜飲を下げていた。 大阪市立大学助教授で在日二世の朴一(バクイル)は講義の中で話す。 「小学校で友達ができると、友達を家に呼ばなくてはいけない雰囲気になる。 家族が揃ってでかける日があった。自分だけ仮病をつかって留守番をして、 急に友達に電話して呼び、表札を外すは、朝鮮の座布団を隠すは、 窓を開けてキムチの臭いを出すはした。そしたら、奥にハルモニがいた。 おまけにチョゴリを着ていた。「このババア、殺したろか」と思った。 二階の納戸に閉じこめた。やがて友達が来た。2時間くらい一緒に遊んで から友達が帰ったから、二回の納戸をあけたら、そこでハルモニが首を吊ろう としていた。「おまえ、わし嫌いかぁ」と泣いた。若いときからどん底の 差別をなめてきて、いまこんなふうに孫に監禁されていいもんやろか そのとき思った。ほんまに悪いことをしたなあと思った」 この話をすると、涙を流す学生が多いという。 「でも、それは日本人の学生なんです。在日の子は泣かんと堪えるんですよ。 あとで聞いたら、涙が出そうになったけど泣いたら、在日であることが バレるから必死に我慢した、と」(みんなが泣いているから泣いてもわからないのに) 韓越混血児のほとんどは、韓国軍兵士とベトナム人女性との間に生まれたものと 思いこんでいたのであるが、ベトナム戦争中に技術者や労働者として南ベトナムに 来ていた韓国人男性がベトナム人女性との間に子どもをもうけ、 そのまま母子を置き去りにして帰国してしまった例が圧倒的に多いという。 (日本が朝鮮戦争で経済復興したように、韓国もベトナム戦争で景気が良くなった) 美空ひばりが「悲しい酒」で泣くのは、離婚した男を思って泣くのではなく、 表に出てこなかった父親を思って泣くのだ。  新井英一の説 ホルモンは性ホルモンのこと ホルモンは内蔵から分泌されるから内蔵を食べると精力増強につながる。 (この説明は説得力がある。私もこう思っていた) 朝鮮高校のサッカー部を日本の公式戦に出場させるため、全国高校体育連盟 (高体連)への加盟を、日本弁護士連合会の人権擁護委員会を通じて嘆願した。 発案者は茨城朝鮮学校サッカー部監督伊台祚と東京朝鮮高校サッカー部監督 李済華だった。 その結果、二人は朝鮮総連中央から直接、罵倒と叱責を手ひどく浴びせられた。 前もって総連中央には伝えてあったのに、それが上層部に届かなかったせいで、 二人は組織に無断で人権擁護委員会と交渉したとみなされたらしい。 ところが、二人の嘆願書が功を奏して、文部省と高体連が妥協案にむけて 動きだし、日本のマスコミでも大きく取り上げられるようになると、総連は 態度を一変させ、人権擁護委員会への働きかけを総連の組織的活動の成果と 自画自賛し始めたのである。 紆余曲折の結果、朝鮮学校は文部省の管轄下にないため加盟ではなく、 準加盟で認められ、朝鮮高校のサッカー部の選手たちも、インターハイなどに 出場できるようになった。その最大の功労者であったはずの二人は、そのとき すでに朝鮮高校を追われるようにして退職していたのであった。 (えてして、このてのことは権力者や政治組織に多い) パチンコ店の年間総売上は、1994年には約30兆5千億円に達した。 トヨタ、ニッサン、ホンダ、三菱自動車などの主要自動車メーカーの 売上総額の二倍近い。韓国の国内総生産(GDP)にほぼ匹敵する。 日本人は一人当たり年間25万円もパチンコをする。