李光洙「有情」の舞台をめぐる旅 (李光洙は作者によれば、民族主義者であったが、日本に協力し 朝鮮文学を育てた。戦後に親日派とされた) 1931年に日本に渡った私の祖父が、もし方向を逆にとって 満州に向かっていたなら、私もここにいたのかもしれない。 豆満江にかかる橋の真ん中に引かれた中朝の赤い国境線上で、 韓国からの旅行者がはしゃぎながら記念写真を撮っている。 そのすぐそばの中国側の騎士で、ひそかに川を越えてきたという 埃と垢にまみれた北朝鮮の少年が、人格まで投げ出したかのように地面に 体を放り出して眠っている。その姿が目に焼きつけられた図們(トムン) の町でも、私はもうひとりの自分を見ていた。 延吉から長春までの列車のコンパートメントは韓国人のツアーの一行 に占領されていた。列車が出発して10分たっても席が決まらない。 無愛想な中国人乗務員が、著者たちにコンパートメントを替わって くれたら解決すると、勝手な願いを言ってくるが、当然著者らは断る。 なんとかコンパートメントに収まったと思ったら、酒やら賭け事やらで 大騒ぎ。通路でズボンを穿き替えるおじさんまで現れた。 傍若無人なおじさんツアーは、現在の韓国人の中国人に対する優越感 の表現のようであり、どうしても力を誇示せずにはいられない 浅はかな人間たちと著者の目には映る。けっして韓国や日本では 列車の通路でズボンを下ろしたりはしないはずの紳士の下着姿を 痛ましく思われると書いている。 −−−−−−−−−−−−−−− 世界を旅しながら、自分たちの先祖の歴史を思う著者のスタイルは この作品で定まったような印象を受ける。 傍若無人なおじさんツアーは、中国でなくても、いまの日本でも 日本人によるそういうツアーが見かけられそうである。 くつろぎすぎて周りの人に顰蹙をかわないように気をつけたいものです。