日本人になりたい在日韓国人
岩本光央(李 仁植)
父は北朝鮮元山、母は韓国慶尚南道の出身。北九州市生まれの
在日2世の本 2000.4
小さい頃に日本人社会でいじめられた体験は、この著者も他の在日の同朋たちと同じ。
苦労した体験が弱者の心の痛みを知っているから、ホストとして成功したことを述べている。
彼の家庭でも、気配りを求められたり、いじめられっ子として周囲に警戒心を持たざる
えなかったため、人の心の動きに敏感であった。
さらに中学生の時の熱病による身体障害者としての苦しい体験が、他人の弱い部分、
ふれられたくない部分も敏感に察知することができるのだ。
不幸や苦労は人間を鍛える。
戦後の日本で、北朝鮮は楽園というキャンペーンを信じて渡っていった朝鮮の人々。
著者はやがて高いお金を出して、北朝鮮訪問の観光団に加わり、父と再会する。
ホテルの部屋で盗聴器を気にする父親は、庭に出てこの国の暮らしは良くないことを
うち明ける。そんなことは観光で何カ所か見学した著者には十分すぎるくらい
わかっていたことなのだ。昨今の北朝鮮の情報はすべての日本にいる人々には
知られてしまった。現実と口だけの理想を正しく伝えなかった関係者に対する批判を
他の本では見かけるが、この著者の関心はもっと現実的なことにあった。
何より彼は生活力のある在日2世なのだから、むなしい議論をする意志はないのだ。
他の人からも指摘されたことであるが、あの名作「ウルトラセブン」最終回
傷ついたダンは、アンヌに自分は地球人ではないことを告白する。
「僕は人間じゃないんだ。M78星雲から来たウルトラセブンなんだよ」
アンヌは「人間であろうと、宇宙人であろうと、ダンはダンにかわりないじゃない」
と答える。沖縄出身の金城哲夫の脚本だから、ウチナンチュー(沖縄人)でもなく
ヤマトンチュー(日本人)ではない自分の立場を作品に反映させたのが、
この在日の著者には特別胸にひびくのだろう。
在日の彼を「個」として認めてくれることを願っている。そして、それは彼女が
認めても、結婚という厚い壁の前にはたいてい無力である。なぜなら、彼女の親族
に影響が及ぶからである。
著者の李は、韓国では「イ」だが、北朝鮮では「リ」だという。
中国読みなら「リ」だということは知っていたが、北朝鮮では「リ」だということは
この本ではじめて知った。
自信をつけている著者は、日本で活躍している在日の仲間にも
自分の親や故郷について隠さないで自然に語ってほしいと願っている。
芸能界やスポーツ界では活躍している在日の人が少なくないが、本人が隠している
ケースが多い。そして、在日の人たちは、誰がそうであるかを知っている。
しっくりこない韓国名や朝鮮名を名乗らなくてもいいから、自分のルーツを
隠さなくてもいいではないかと言うのだ。たとえば、にしきのあきら、前田日明は
帰化した在日であり、ビートたけしも朝鮮人の祖母をもつことを隠してはいない。
でも、これはなかなか本人の都合があり、他から強制するものでもないだろう。
韓国に渡って、母親のルーツを求めた著者は、幸いにも族譜によって日本の親戚に会う
ことができる。族譜(チョッポ)は14〜15世紀に中国から伝わったもので、
李朝が儒教至上主義をとったため、本家の中国以上に族譜は大切にされたという。
朝鮮半島の人々はつねに外敵の侵略を受けてきた。政情不安から海外移民も少なくない。
だから、つねに自分は何者なのかということを確認しておかないと、自分の座標軸を
失う恐れがあるのだろう。そのよりどころが族譜であって、大切にされてきた
というわけである。
若いときは、そのようなものを日本で見て時代遅れの無用のものと思っていた著者だが、
それが自分のルーツの決め手となったのを見て、感慨におそわれたという。
在日1世のような本国志向、反日志向はなく、文化的にもすっかり日本人になりきっている
在日3世4世ともまた違う、著者は在日2世である。
タイトルの「日本人になりたい」という意味は、帰化したい、日本国籍がほしい
という意味ではなく、李仁植である前に、岩本光央である前に、自分という人間が
この日本に住んで、泣いたり笑ったりしながら生きていく。
その覚悟を決めることが日本人になるということ。
いつか本当の日本人の親が現れて、日本人だったとわかる日を夢みてきた著者は
父親や母親の故郷にも行ってきたし、日本での事業もある程度成功して、自分を
認めてくれる日本人の友人も持つことができて、自分の生い立ちも受け入れて
在日であることを堂々と公開することができるようになった。
だから、くよくよ悩んでいる暇はない。大事に思う人に愛情を注ぎ、その人からも
愛情を注いでもらう。自分がこれと決めた仕事をいっしょうけんめいやって、
自己実現を図る。それが大切なことだと言い切っている。
それは日本での成功があったから。
女の手ひとつで育ててくれた母親にも感謝していることを書いている。