誰のためでもなく

金子博 三一書房
副題 「韓国系日本人」として生きる。

とても良い本である。日本人も見習う点が多い。 新宿ヨドバシ浄水場の建設現場で生まれた著者。 いったんは、父親を日本に残し、母親と韓国に帰る。 鎮海(チンヘ)にあった日本海軍工廠の少年兵として働くうちに終戦を迎える。 大邱(テグ)の師範学校に編入する。 暮れに日本から韓国人が家にやってきて、白河にいる父親に伝言がないかと 言う。それを聞いて著者は本能的に自分を父の所に連れて行ってくれと 頼む。(母に相談せず兄嫁に相談したら、即座に賛成された) 鎮海から密航船で和歌山に上陸。苦労して白河にたどりつく。 苦労して働いたこと。何でも仕事をした。 新制大学のラッシュ時代、高卒の証明書もなくても工学院大学に入学できた。 工学院大学の在学証明書で、東京電機大学に編入。 (高卒の証明書がないことがバレたら大変と、編入の履歴で処置した) 卒業を控えて、韓国人ゆえ就職できず、中退してしまう。 父の会社で働く。 父から経営権を受け継いでから苦労が始まる。 「帰化」すべきか否か。著者も悩む。 やがて著者は自分の意思で「帰化」した。日本で生活するには、それが 最善の方法だと考えて。自分のルーツである朝鮮を忘れるわけではなく、 朝鮮民族としての誇りを捨てるわけでもなく。 「帰化」した私を日本人として見てくれるわけではありません。 見る、見ないは相手の都合でこちらには関係がありません。 むしろ「帰化」しない同胞たちから敬遠され、それこそ差別されて いるように感じることがあるのです。 実際、「帰化」した人の多くは朝鮮民族だということを隠したがります。 自分一人で自分に都合良く解釈して、まわりが皆自分のことを日本人 だと思っているのに今さら韓国・朝鮮国籍だったと知られたくないと 考えているようです。周囲の人たちには「帰化」人であることは周知済み であることに気づいていないだけなのです。 日本人か、韓国人かが問題ではないのです。本当に大切なことは、 一人の人間としてどうあるべきかということではないでしょうか。 過去を隠したがる仲間を責める気はありません。各々生きてきた歴史が 違うのですから.... しかし隠して生きようとしている人についてあえて言わせていただくと、 それは単なる「逃げ」のような気がします。 勇気を持って、朝鮮民族としての自覚を持ちつつ、その地域社会の 一員になりきるために、そしてとけ込むために、本人の意思による 「帰化」でなければ、本当の日本の社会に受け入れられるとは 思われません。 韓国・朝鮮人の中には、日本や日本人に対して、恨みつらみの感情しか 抱けない人もいます。私もかつてその一人でしたから、理解できないわけ ではありません。また、そういった感情を自分のなかで薄めていくには、 おそらく”純”日本人のみなさんには計り知れないほどの時間と 精神的葛藤が必要なのです。 歴史として、事実を本などに書き残していくのは大切なことだと思いますが、 今の時代を実際に生きていくのに、そのような悪い感情に縛られていて、 果たして幸せに生きていけるでしょうか。少なくとも今の私には無理です。 日本には韓国・朝鮮からの「帰化」人による「成和クラブ」という 集まりがあります。韓国人のいや韓国の”縮図”のようなものと表現する方 が適しているかもしれません。いつも意見は百出でやまず、一人ひとり 苦労した歴史がそのままにじみ出ており、自己主張の強い人たちの集まりです。 その集まりに出席すると、なぜか皆が人の話を聞かず、まったくまとまりの ない会合になってしまうのです。私もその一員なのですが....。 そんな時、いつも気になるのは自分の歴史を隠していることです。 おれはとっくに日本人になっているのに今さら知られてたまるか、という 気持ちのようなのです。 ルーツを知ろうが知るまいが、自分は日本人あるいは韓国人である前に、 一人の人間として射場らしい人格を備えられるように努力し、自分でも 納得のできるような生き方をすることが基本ではないかと常に考えています。 (自信のある著者はルーツを知られてもいいと言い切れる。そうでない人 にとっては隠したがるものもやむを得ないかもしれない) ただ一つ言えるのは、 当時の日本のやり方、名前を日本名に変えさせたり、習慣・風習など 韓国の文化そのものを変えようとしたことなどが問題で、 これが朝鮮の人々が日本人に悪い感情を持つようになった 一番の原因だろう。 たとえばインドなどでは、ずいぶん長くイギリスの植民地支配を受け たが、多くの朝鮮人が日本に感じているような悪い感情は インドでは見られないという。それはイギリスがインドの文化までは 支配しなかったからだろう。 日本は、朝鮮や韓国に日本を丸ごと押しつけたからこそ、 今日に至るまで、朝鮮の人の反感を買っているのだ。そして、今なお 日本には、そのことを前向きに対処せず、都合の悪いことは隠しておく というようなところが見られる。 一方朝鮮側は、謝れ謝れを繰り返しているのだから、らちがあかない。 時代は刻一刻と進歩している。あと十数年も経てば、世界一周旅行が 日帰りでできるかもしれない。それぐらい科学が進歩するのだとしたら、 人の心も、もっと進歩して良いはずだ。まして、隣同士の国ならば、 いがみ合ったり憎み合ったりして、何の得があるだろう。 確かに、私たちのような韓国・朝鮮人を含め、アジア諸国の人たちが 日本に占領されたり、虐げられたという事実は歴史にとどめられなければ ならない。もちろん、それに対する日本の責任をうやむやにして 良いとは思わない。 しかし、戦後50年以上たった今、その恨みを持ち続けていては、 何ら前に進むことはできないと思う。 そして、私たちが日本からの技術協力などによって、たくさんの恩恵を 受けているのも事実なのだ。残念ながら、それを言う人も認める人も、 ほとんどいないのが現実の韓困社会である。 皆口々に、「そんなの当然だ」と言う。 一方、日本でも、現在の経済的発展の基礎が、我々の祖国を分断した 朝鮮戦争のおかげであることは、誰も否定できないだろう。 だから、お互い過去を語るなら、謙虚な気持ちを忘れず、 冷静な目で物事を判断し、その事実を踏まえた上で、理解し 合うべきなのだ。このように、物事を前向きにとらえていけば、 きつとお互い、他のどこの国よりも仲良くなれるはず。 そして、このような関係において一番危険なことは、 お互いに偏見を持つということ。 特定の人を見て、それが韓国・朝鮮人、日本人のすべてだ、 と思い込まないように。 私は決して、ほかの人にも「帰化」を勧めたいと思って、この本を書いて いるのではないということです。 「帰化」するかしないかは、本人の人生観で決めれば良いことです。 韓国人・朝鮮人として、日本の中で根を生やす勇気と自信を持つのも、 日本の社会の一員として生きるために「帰化」するのも、 言い方は悪いかもしれませんが、本人の勝手なのです。 私が「帰化」した理由は、韓国人であることを捨てようと思ったから ではありません。なにしろ、日本に来て以来、ずっと今の住まいの 白河にいるのですから、もともと私が韓困人であることは、 周囲の皆が知っていることです。 「帰化」しても、局囲が私を日本人だと認めているかどうか。 おそらく、今までとまったく変わりはないでしょう。 ですが、むしろその方が良いと思っているのです。 なぜなら私は、日本で生きていくのには、「帰化」をした方が都合が 良いと思ってしただけで、自分の体に流れる朝鮮民族の血と、 その文化を誇りに思っているのですから。 前にも述べたとおり、心の中で自分を韓国系日本人だと思っております。 「帰化」したのは、三人の子供たちが大学を卒業する前。 正直に言えば、この子供たちのためにしたのだ、と言えるでしょう。 子供たちは日本で生まれ育ち、日本の学校教育を受けさせてきました。 この国の文化のなかで日本人の子供と同様に生きてきた彼らが、 将来、韓国で暮らすことはまずないだろう、 「帰化」した方が本人たちのためになるのではないか、と考えたのです。 親の都合で生まれてきた子供たちですから、彼らが将来を生きていくために、 親として最善の配慮をしたつもりです。 韓国の習慣も知らない私と妻の間に生まれたので、親として韓国のこと (言葉、文化、歴史)を何一つ教えることも伝えることもできないのです。 すべて日本人そのものであるからです。 −−−−−− 子孫が日本に生きることを考えて帰化すべきと書いた本、 あるいは実際に帰化した人の本を何冊か読んだが、 この本が一番説得力のある本だった。 著者の人格がにじみ出ている。平易な表現でもある。 著者と妻と長男を連れて、昭和51年に韓国に里帰りする。 出国手続きの時、長男がスパイ容疑で20分ほど別室で取り調べを受ける。 著者夫妻の大変な心配。そして妻は以後韓国が大嫌いになった。 昭和51年の韓国訪問のとき 韓国の外務大臣が 「韓国も人口が増え続けていることだし、外国で暮らしている人は、 そこで市民権をとって韓国民族として恥じない、立派な人になるべき ではないか。それが韓国にとっても良いことです」 というような発言をしたことも、著者が年をとったら 韓国で暮らそうという気持ちが失せた原因という。 当然のことながら、帰化してしまったら 役所の書類も外国人登録証も諮問捺印も 面倒なことはなくなってしまった。 何よりも一番良かったと思えるのは、 韓国人と日本人の両方を経験できたことだと思います。 今は「帰化」する前より、日本人の気持ちがわかるようになった気がします。 また「帰化」したことで、より客観的に二つの国の関係を 考えられるようになりました。どちらか一方の立場にいると、 どうしても主観が入り、公平な物の見方ができなくなるものです。 二つの国籍を体験してみると、それぞれの国に対する意識が 以前と変わったことを自覚しています。 相手に謝ってもらい、過去を認めてもらうと、何のプラスになるでしょうか。 すべてを忘れる度量の持ち主になり、今、そして未来を生きていくべき だと思います。 過去にとらわれてばかりいても、何の解決にもなりません。 日本と韓国・朝鮮の不幸な関係は、今となっては誰が悪いということ でもなく、やはり時代のせいだったという気がしてなりません。 過去・未来を通じて、歴史というものを長く大きな川だと すれば、あの時はたとえ淀んではいても、その川の流れの一部分 だったのだと、少し距離をおいて考えたいと思うのです。 (著者はある年齢に達して、また社会的に成功したから、ゆとりも出て 過去をふりかえられるようになった) いつも誰それがどうの、日本人がこうのと、他人への批判やねたみ、 自分の見栄や意地、プライドだけが主題となっていたのです。 つまり、他人が中心で、自分を見失つていたのです。 それから我が身に降りかかってきた差別。 いくつもの差別が私自身を強くし、生きるための根性を与えてくれた のかもしれませんが、 やはり日本という国を肯定的に見られるきっかけとなったのは一冊の本でした。 30年前、宗教家・御木徳近氏が書かれた、 『捨てて勝つ』(大泉書店)を読んでから、 それまでの考え方が一変しました。 自分の生き方、考え方が間違っていることに気づいたのです。 その本に書かれていた「プライド・見栄・意地・世間体を捨てる」 という言葉に打たれたのでした。 そのころはまだ、自分が韓国人であることから受ける差別を、 人間として成長できるチャンスになり得るものだという プラス思考には、まったく考えられない私でした。 ですから、見栄や意地、つまらないプライドの固まりを捨てて 裸になれば人間は楽になるということを、そのときはじめて知ったのです。 実際に、自分なりに良心に照らして正しく歩き、また失敗を恐れず歩いて みると、成功する、しないという結果以前に、 そう生きることがどんなに気持ち良いことなのか、 生きる充実感を味わうことが出来るかがわかったような気がします。 たとえ世の中が公平でなくとも、一人の人間が文句を言ったところで 大きく変わるものではない、かえって自分のなかに不満を残すだけ であることも身をもって覚えました。 文句を言う前に、自分の良心に照らして、精いっぱい今を努力した方が、 より実りがある、もし実りを得なくても、自分の心だけは最低限 晴れやかであるということを、自分の体験からも理解できたのです。 この一冊の本との出会いによって、人生の大きな転換期を迎えました。 その後も、自らすすんで、本を読むように心がけています。 現在の私の考え方、ものの見方には、このような読書から学び、 身に付けたものが相当あります。 一度しかない人生を、戻ることのない今を、楽しく生きることの素晴らしさ を教えられたあの日から、批判するだけ、悪口を叩くだけの 反日感情を自分のなかから消していこうと努めています。 さらに情勢の悪い祖国に帰るよりも、この日本で生きていこうと 決めた私は、幸運にも自分のための人生をやっと見つめなおす機会に 恵まれたのでしょう。 人間、一人では何もできないのです。 できないほど無力で小さいからこそ素敵なのかもしれません。 まわりの人に恵まれている今、改めてそう実感します。 韓国系日本人 あるいは 新日本人 としての著者の生き方 それは、一般の日本人に比べれば 少なくとも150パーセント以上の立派な生き方をしないと いけないと書く。 他人より率先しての納税はもとより、地域のボランティア活動等を 通じて、一般市民として社会により多く協力すること。 人から認められるべく努力するのではなく、自分で満足できるように すればよい。他人とは関係なく自分の道を進めば、おのずと頭の低い しっかりした人間になる。 これが「150パーセント以上の立派な生き方」である。 著者がロータリークラブで日韓の架け橋になろうという話をすると 今まで差別されて大変な苦労をしたろうと聞かれる。 それに対して「日本人は誠実で、親切で心温かく、思いやりがあり、 どの民族より素晴らしい人種だ」と答えると、みな疑ったり 調子のいいことを言うなという顔をする。 「人間はすべて環境の産物です。日本で生まれ育った子供は 日本語を話します。英語や韓国語は話しません。韓国で生まれても 同じです。では環境は誰がつくるか? それは自分自身でつくるのです。 自分がまわりの人たちを大事にし、親切にすれば周囲の人たちも 必ずその人を大事にし、親切にしてくれるはずです。 もし今後、在日韓国人が来て日本がヒドイ国だとおっしゃる人が いたとすれば、その人がヒドイ人だと理解して下さい。 その人は周囲の人たちに対して仲良くすることを心がけないで、 自分勝手に差別意識を持って接するから憎まれ、 差別されているように感じているのです。 だからその時はその人の努力不足だと解釈してください。 なぜなら、環境は自分がつくるのですから」 と説明すると皆さんはそうだ、どこの国にいても同じだと 納得してもらえるのです。 その証拠に、日本で韓国人の間に生まれた私の子供であっても、 私が韓国語を教えなかった責任はあるでしょうが、 しかし三歳にもなれば日本語を話し始めました。 まさに人間とは環境の産物であることを、身をもって体験しました。 人間は環境によって形成されるのです。 人間は誰でも自分は幸せになろうと思っています。 では自分が幸せな状態とはどんな状態をいうのでしょうか。 それは自分のまわりのすべての人から大事にされている状態です。 言葉を返せば、自分がまわりを大事にしているからこそ 形成される環境なのです。