水沢にある方が歴史的地理的に原詩にふさわしい(?)

そもそもこの歌は、ダークダックスが盛岡で知ってから、東京に帰って全国的に広めた。
しかし、誰が作ったのかは不明だった。
昭和36年になって、作者が名乗り出た。
作詞者は岩手県江刺市出身の菊地規(のりみ)、作曲者は岩手県種市町出身の安藤睦夫であった。

作詞者の菊地規は、大正12年、江刺郡田原村原体(江刺市田原)に生まれた。
水沢農学校在学中に詩作をしたり、友人たちと同人誌を発行するなど創作活動をしていた。
当時、水沢農学校には安藤清蔵という配属将校がいて、菊地規と安藤とは同じ下宿に住んでいた。
この将校が安藤睦夫の叔父にあたる。

旧制八戸中学の生徒であった睦夫は、叔父の下宿を訪れて規と出会い、二人は意気投合した。
こうして、規は昭和15年12月に「北上夜曲」の歌詞を作り、翌16年2月、
睦夫は規から渡された歌詞に曲を作ったのだった。
菊地規は教師の道を歩み、安藤睦夫は家業の農林業に従事し町会議員を四期勤めたという。
教え子やまわりに北上夜曲を教えて、教え子たちが仙台をはじめ全国に広めていって、歌声喫茶でもよく唄われるようになった。

菊地規は農学校在学当時、通学に北上川に架かる小谷木橋を利用していた。
したがって、この小谷木橋のたもとの公園に歌碑を設置したのは、きわめて妥当なことなのである。

*なお、平成の合併により、江刺市は奥州市に、種市町は洋野町に、それぞれ変わっている。

             北上夜曲