隠し念仏と隠れ切支丹

隠し念仏と隠れ切支丹
浄土真宗とキリスト教、この2つの宗教は全然違う。
しかし、みちのくに意外な接点があった。

みちのくには「隠し念仏」というものがあります。 簡単に言えば、江戸幕府に迎合した本願寺を、これを形骸して堕落した ものとみなして、 信仰を大事にする信徒たちが、自分たちみずから親鸞の教えに直結する 信仰を密かに行ってきたものです。 県立博物館には資料が展示されています。 いっぽう 九州には「隠れ念仏」がありますが、これは、自分たちの領主や藩主に対する反抗です。 例えば薩摩藩の門徒信者は、藩への年貢納税よりも、本願寺への納付を優先的にしようとしました。 このため、藩は真宗禁制を厳しくしました。そこで門徒衆は隠れて信仰を守ろうとしたのが「隠れ念仏」です。 ですから、本願寺からみると、みちのくの「隠し念仏」は異端で、九州の「隠れ念仏」は正統ということになります。 さて、みちのくにも隠れ切支丹はいました。 隠れ切支丹とは、幕府の定めた宗門人別改めに対して、届け出の上では仏教徒を装いながら、 実際はキリスト教の信仰を守り続けていた信者です。 しかし、かれらの子孫は、隠れて信仰を行っているうちに、仏教との混合の結果、 本来のキリスト教から離れていって、明治になってキリスト教信仰が認められても、 もはやキリスト教徒にはもどってきませんでした。 これは日本特有の多神教みたいなものです。 神仏混淆とか本地垂迹説をお考えください。 だいたい空海や最澄の仏教ですら、その密教には山伏信仰の影響があり、つまり神道的な要素があるのです。 さて 私の読んだ本【及川吉四郎:みちのく殉教秘史、本の森(2005.1)】では 著者が 水沢の隠し念仏の大導師山崎杢左衛門は磔の刑にされたが(1754)、 その理由は彼が隠れ切支丹であったからという説の真偽を、両方の説を調べながら述べています。 つまり2つの説をあげて、それぞれの理由となる資料を分析したものです。 ・山崎杢左衛門は隠し念仏 ・山崎杢左衛門は隠れ切支丹 そして結論は、やっぱり隠し念仏の大導師山崎杢左衛門は隠れ切支丹であったというものです。 まあ100%いいきれないのですが、いろんな証拠を述べています。 本来は浄土真宗とキリスト教では全然違う宗教のはずですが、どちらもみちのくでは禁止されていて、 だから隠れ切支丹が隠し念仏にすり寄っていって、いつしか「庇を貸して母屋を取られる」 ように切支丹は仏教徒のようになってしまい、もはや子孫は切支丹という自覚を失ってしまったようです。 しばしば見られる子どもを抱く観音像は、聖母マリアを意味するもの。 北上市岩崎公民館の木造天神像の冠には十字架が彫り込まれている。 これらは浄土真宗とキリスト教の直接的な関係を示すものではないが、 隠れ切支丹が神仏信仰にことよせて密かにキリスト教にまつわる大切なものを隠している例です。 隠し念仏では、生後一週間以内の赤ん坊が「オモトヅケ」を行う。 これは五島などで潜伏時代の切支丹の間で行われた「お水受け」「御元附け」と同じである。 さらに隠し念仏では、子どもが6,7歳のころに「オトリアゲ」の儀式を行う。 これはキリスト教徒の洗礼に相当するのであろう。 この儀式に不合格だった子どもは、石臼に載せられるという。 実は石臼はキリストを象徴するものである。 秋田藩主佐竹義宣の文書に「大ウス宗の者」という語句がある。 大ウスはデウスを指すものと思われる。 大臼 大宇須 提宇子→デウス(ポルトガル語で神のこと) 隠し念仏の秘儀を子どもの頃受けた人が、後にキリスト教に入信して 自分の受けた隠し念仏の儀式とキリスト教の洗礼の儀式などがあまりに似ているので そのことを指摘した人のことも、この本に書かれています。 ただし、すべての隠し念仏が隠れ切支丹ではないようです。 クロスした隠し念仏があったということでしょう。

【及川吉四郎:みちのく殉教秘史、本の森(2005.1)】