三十年戦争(1618‐48)を終結させた条約。 1645年からドイツの Westphalia地方のミュンスターとオスナブリュックとに分かれて 講和会議が開かれ、各国の利害が衝突してなかなかまとまらなかったが、 1648年10月24日に調印された。 この条約の結果 それまでヨーロッパで優位を誇ったハプスブルク家の勢力は後退し、 フランスとスウェーデンが強国となって台頭するようになった。 ドイツ内部ではブランデンブルクが勢力を伸ばすことになった。 したがって いちばん打撃を受けたのがオーストリアとスペインの両ハプスブルク家であった。 ドイツの諸侯は皇帝に対する独立の度合をいっそう強め、 神聖ローマ皇帝の地位はいよいよ名目的な存在となった。 オランダは独立を最終的に承認され、 またすでに中世末期に神聖ローマ帝国から事実上独立していたスイスが ウェストファリア条約で独立を正式に承認された。