ダルムシュタットのマミ取り器
池内 紀
ドイツ中西部のダルムシュタットは、ながらくヘッセン大公国の首都だった。
首都には官僚がつきものであって、役所勤めがどっさりいた。お昼ともなると、
山高帽にフロックコートのいで立ちで通りに出てくる。
いまもダルムシュタットの中心部には、古い町の面かげがのこっている。
白い塔や城門のかたわらや、すりへった石畳の広場を、あまり仕事をしない小役人が、
そぞろ歩いているかのようだ。顔みしりと出くわすと、山高帽をもちあげて会釈をする。
それからまたプラリプラリと歩いていく。
ダルムシュタツトの郊外に「マチルデの丘」とよばれるところがある。
ヘッセン国の最後の大公エールンスト・ルートヴィヒは、あまり役人たちと
つき合いたくなかったのだろう。むしろ芸術家だちと親しんだ。
丘一帯を芸術家のコロニーにして、妻の名にちなんで命名した。
十九世紀から二十世紀にうつる変わり目だった。当時、アール・ヌーボー様式が
流行していた。ウィーンやベルリンから若い建築家がやってきて、アール・ヌーボー
の家を建てて住みついた。好むところの制作をすればいい。生活は保証され、
作品はヘッセン国が買い上げる。生活の保証はしても制作に口出しはしない。
大公は、まさに理想的なパトロンだった。
さっそく官僚がいろいろと口出しをしたのだろう。財政難をいいたてて反対した
にちがいない。コロニーは数年で中止になった。丘の上に美しい塔がスックと
そびえている。五本の指をのばした形をしていて、まるで手をひろげて
新しい世紀を迎えるぐあいだ。まわりのアール・又ーボーの建築は、
百年にちかい歴史をおびて、夢の建物のような優雅さをおびてきた。
この町のベルリン通りにあるヴェラ博物館は装身具のコレクションで知られている。
人間はなぜか身を飾りたがる生きものであって、さまざまな装身具を考案してきた。
クレオパトラは香水を愛用したし、ギリシャの哲学者もひげを剃った。
変わり種は「ノミ取り器」だ。少なくとも私はダルムシュタットで初めて実物を見た。
ブローチのようにつり下げる方式になっていた。まわりに点々と小さな穴があいている。
中に塗り薬をしかけ、匂いにさそわれてとびこんだノミが出られないような構造になっているらしい。
貴族の宮廷生活は華麗だったようだが、週に一度も風呂に入らなかった。
女性は何枚もの下着を身につけている。ノミにはことのほか居ごこちがよかった。
サロンのおしゃべりがひと段落つくと、貴婦人たちはわれ先に小部屋へ走りこみ、
スカートをまくりあげて、かゆいところをポリポリかいた。
ガラスごしにじっくりながめたが、白いノミ取り器はあまり便われた形跡がなかった。
たぶん、まるで役に立たなかったせいだろう。
(ドイツの宝さがし 讀賣新聞 1998年6月28日)