ハンガリー紀行 part2

岩手県庁土木部の大石勉氏の旅行記です。
大石氏はドイツ通でありハンガリーが大好きな人です。

 二日目は「ドナウ曲がり」の探訪だ。「ドナウ曲
がり」は、ドナウ河が膝を曲げたような恰好に曲がっ
ているので、英語ではドナウ・ベンド、ドイツ語で
はドナウ・クニーといい、ドイツ語の方が実感がこ
もっている。このドナウ曲がりにはハンガリーの歴
史が凝縮されているので、ここを訪れることでハン
ガリ−の生い立ちを知ることが出来る。前回の旅行
はブダペスト市内だけであったので、今回は大いに
期待した。
 朝ホテルをバスで出発。ブダペストを後にして、
ドナウ河に沿った道を北へ進む。途中にロ−マ時代
の遺跡。高速道路が高架となっていて、遺跡と共存
している。円形競技場跡も見えてくる。郊外に大き
な高層住宅。「ハンガリーで一番大きい集合住宅で
幅が360メートルあります。共産政権のとき建てら
れたものですが、隣に誰が住んでいるのか分からな
いそうです」とガイド氏。
 並木のある道を進む。 1時間ほどで河沿いの国道
から分かれ、丘の上の要塞を目指してパノラマ通り
を登っていく。 ドナウ河を眺める。ブダペスト市内
よりは狭く、うねるようにして流れている。ヴィシェ
グラードは14世紀に都になったこともある町で、ロ−
マ法王の使者が「地上の楽園ヴィシェグラードより」
と結んだ書簡を法王あてに書いたことでも知られる。
地上の楽園とはこの展望台の下にある王宮を指して
のことだろう。 しかしながら、王宮は長い年月の間
に山からの土砂に埋もれて忘れ去られていたが、今
世紀になってからその存在が確認され、発掘は今日
もまだ続けられている。
 シーズンともなれば、多くの観先客が訪れるこの
町も、この時期はさすかに土産物屋も閉店し、観光
客も我々のグループ以外には見かけられなかった。
 丘を下って、再び国道へ出て「ドナウ曲がり」の
起点エステルゴムヘ向かう。教会、古いけれどもこ
ざっぱりとした伝統的な民家、牧草地、ポプラの林…
車窓の風景を楽しみながら、大平原を西へ進む。
 30分程で高さ100メートルあまりのドームが見え
てきた。バスを降りて大聖堂へ行く。ドナウ河を望
む丘の土に立つ大聖堂は、列往の美しさが強調され
て実に見事だ。人を威圧するような壮大さもある。
エステルゴムはハンガリー王国誕生の地であり、建
国以来、キリスト教の大司教座、つまり総本山の所
在地でもある。大聖堂の中は、広いが少々暗い。イ
シュトヴァーン、ゲレルト、ラースローといったハ
ンガリーを代表する聖人の身体の部分が安置されて
いる。そういえば、ゲレルトは異教徒によってドナ
ウ河に投げ込まれたのだがと思いながら、さらに中
へ進む。9世紀末から金細工や∃一ロツパ各国から
送られた工芸品、歴代司教のマントなどを見学する。

 大聖堂の裏はすぐドナウ河だ。対岸はスロバキア
だが、第1次大戦まではハンガリー領であったとこ
ろである。 したがってハンガリー人が多く住んでい
る。第2次大戦で破壊されたままの橋があるが、現
在再建する計画が持ち上がっているとのことである。
 バスに乗り込もうとしたら、駐車場の近くに若い
男性二人が、テーブルクロスを売っている。「ハンドメ
イド、センエン(千円)」と言って広げてみせてくれる。
ここにはスズキ白動車の工場があるので、我々が日本
人であることが分かるのか。とにかく、余りにも鮮や
かな色であったので、2枚買い求めた。
 その後、「ドナウ曲がり」の終点の町センテンドレヘ
行く。センテンドレは14世紀にセルビア人によって造
られた町である。おとぎ話に出てくるような家並みと
石畳の路地がたくさんの観光客を引きつけている。N
HKテレビ「ハンガリー美術紀行」で放送されたコヴァー
チ・マルギット美術館はここにあり、入って見ること
にした。 ハンガ
リーを代表する
陶芸作家コヴァー
チ・マルギット
の陶器の人形の
美術館である。
人形たちの素朴
で暖かい表情が
独持である。 こ
の町で一番人気
のある美術館と
あってこの時期
にもかかわらず、
結構観光客が入っ
ていた。

コヴァーチ・マルギットの「パンを切る女」(写真省略)

 昼食をとって、小雪の中をブダペストのホテルヘ帰
る。午後はフリータイムなので、小さなグループでツァー
を組むことにした。ブダペストは世界一の温泉都市で
ある。ここまで来て温泉へ入らないで帰るのは、後悔
するので、ゲレルトの丘のふもとにあるゲレルト温泉へ
行くことにした。市内に20余りある温泉浴場では一番
高級そうであるが、かなり古くなっている。
 脱衣所の受付でエプロンといわれるふんどしをもらっ
て、個室で着替える。 30センチ四方の綿性布にひもが
ついたふんどしを身につける。ふんどしは日本と違って
ただ前に下げるだけ。湯船は温度によって2種類に分
かれており、少し熱があったので、高いほうに入るこ
とにした。ふんどしを体の前にゆらゆらさせながら湯に
つかると、尻がじかに大理石の湯船の底に触れ、聞放
感を昧わった。となりでは週刊誌らしきものを読んで
いる。悠々と泳いでいる老人もいる。ゆったりとした
雰囲気である。
 ガイドブックに事前に目を通しておいたら、『湯船で、
中心付近に浸っているのは「パートナー募集」という
意昧らしいので注意のこと』ということが書いてあっ
た。このことを思い出し中心付近へは行かないことに
した。いずれにせよ、ふんどし姿を見て改めてハンガリー
に遠い親戚のような親しみを覚えた。
 2時間もいただろうか。夕方になり、今度はドナウ
河クルーズを楽しむことにした。シーズンであれば予約
するのも大変だが、この時期は誰もいない。我々のグ
ループのみの貸切りである。ライトアップされたドナウ
の夜景が素晴らしい。橋にはイルミネーションが灯さ
れる。 ドナウのさざなみがきらきらに照り返しながら流
れていく。ブダペストが「ドナウの女王」とか「ドナ
ウの真珠」と呼ばれる所以もこれで納得。
 夕食はエルジェーベト橋の近くにある「天壇飯店」
というレストランで食べた。遠い異国で見る漢字のネ
オンは格別であったし、中華料理はとにかくおいしく
て安かった。
 このように、今回の旅行はドナウ河周辺を忙しく廻っ
たが、かなり充実したものであった。
帰国後、小包がハンガリーから届いていた。実は私
は前回の旅行で、ふとしたことが縁で、ハンガリー人
の若い姉弟と文通している。二人とも現在は、アメリ
カに留学中であるが、クリスマスをハンガリーで祝うた
め、短期間帰国するという知らせがアメリカから届い
たのは私が旅行する直前だった。滞在がいつまでなの
か確認する時間がない。したがって、ハンガリーで会
うことは最初からあきらめていた。小包の消印から判
断すると、会うことが出来た訳である。誠に残念。
 小包にCD、ハンガリー料理の本(日本語版)、カ
レンダーなど。 CDはヨハン・シュトラウスの『美しき
青きドナウ』であった。この曲は今日、オーストリア
の「第二の国歌」であるから、ハンガリー人がなぜと
思うのが普通である。しかしヨハン・シュトラウスには
この曲を作曲するにさいして、ハンガリーの詩人ベッ
クの一句が霊感のように閃いたといわれている。こん
なことからもハンガリー人のドナウに対する深い愛情が
うかがわれるのである。
    いわて 1999.12 No.474