函館にくわしい人なら知っている。 もう亡くなったドイツ人ですが 函館で有名なハムを作っていた。 引退してドイツに帰ったがやはり函館がよいと 函館に戻ってきて死ぬまで函館から離れなかった。 今も彼の名前のハムは売られているが、ある会社が彼から権利を買って函館で作っているという。 彼は当時ドイツだったボヘミア地方カールスバート(現在はチェコ)生まれ。 父親も食肉加工のマイスターなのでヨーロッパ各地で修業した。 第一次大戦で負傷して除隊してから一時カールスバートに戻った。 その後米国に行き大量生産技術を学んでから帰国途中で日本に立ち寄り、 日本が気に入ってそのままずっと日本に住み続ける。 東京の缶詰会社で技術指導をしているうちに、缶詰の集まる函館に行くようになる。 そして函館の旅館の娘と仲良くなり結婚する。二人の間には一人の娘が生まれた。 なんとあのEUの旗(青地に黄色の12の星)は彼の提案によると言う。 彼は函館の空の北極星のイメージから、青地の中央に星一つというデザインを考えたらしい。 第一次大戦の原因は セルビアでオーストリア皇太子が暗殺されたことから始まった。 それはハンガリーとセルビアの豚肉貿易の争いがうらにあったから。 ハンガリーはセルビアの豚に伝染病の疑いをかけ輸入禁止した。 セルビアは困ったが、オーストリアは一方的にハンガリーの味方をした。 それがセルビア人の怒りをかったという分析がある。 カール・レイモンはこの話を聞いて、ヨーロッパの宗教や文化をそのままにしながら 通貨などの産業を統一することを唱えて欧州を回ったが相手にされなかった。 あまりにも早すぎたアイデアだった。第二次大戦をへてやっと彼の理想は実現する。 1955年にストラスブールのヨーロッパ会議事務局から 彼のアイデアにしたがってブルーの地にゴールドの星をあしらった旗を作るという 手紙が届く。 カール・礼門は1984年 90歳になって隠居した。 ミュンヒェンに住む娘を頼って妻と二人でドイツに行った。 工場も財産もすべて処理して。 盛大に見送られた。 しかし、3ヶ月して夫妻は函館に戻ってきた。 彼の故郷カールスバートはカルロビバリに変わって知り合いは誰も残っていなかった。 ミュンヒェンでも落ち着かなかった。 こうして戻ってきたカール・レイモンをまた函館市民は大歓迎した。 1987年 彼は函館で死ぬ。妻もその10年後に死に二人の墓は函館の海の見える墓地にある。 私は彼が亡くなる前に一度会っています。函館日独協会の総会に参加した後で シュミット村木真寿美:レイモンさんのハムはボヘミアの味、河出書房新社