神聖ローマ帝国

ハプスブルク家が皇帝となった、神聖ローマ帝国とはどんなものか、 これは説明すると難しい。 神聖ローマ帝国をドイツ語で表すと Heiliges roemisches Reich deutscher Nation ドイツ国民の神聖なるローマの帝国 となる。 これでわかる人は歴史通、いや専門家でしょう。 素人にもわかるように説明しましょう。 当時のヨーロッパの歴史を考えてみよう。 ゲルマン民族の大移動の4、5世紀ころまでドイツを支配していたのは ローマ帝国であった。 実質的にはローマ帝国の支配ははやばやと終わったが その帝国の国教であるキリスト教の方はドイツに定着し、 ゲルマン民族の心の支えとなった。 「神聖」とは「キリスト教を信仰する」という言葉に置き換えるとわかりやすい。 だから、神聖ローマ帝国とはいっても 古代のローマ帝国とか、イタリアの首都ローマとは直接の関係はない。 むしろ、広い意味での(当時の)ドイツをさすと考えた方がよいくらいである。 すなわちこの帝国には、今日のドイツよりもはるかに広範な領域、オランダ、 ベルギー、フランス東部、イタリア北部、オーストリア、チェコなどのかなり の地域が含まれていたのである。 神聖ローマ帝国を代表して統治する者がローマ王またはローマ皇帝である。 選挙で国王に選ばれた者は、イタリアへ赴き、ローマ教皇(法王)から 帝冠を授与されてはじめて皇帝と呼ばれた。 この国王を選ぶのは、実は7名の選帝侯であった。 その7人とは マインツ、ケルン、トリーアの大司教、 ボヘミア王、ブランデンブルク公、ザクセン公、プァルツ宮中伯 のことである。 世俗の4人の君主はともかく、3人の聖職者たちが もっぱらキリスト教の布教活動に専念して世事にうといかというと そうではなかった。 選挙にはお金がつきものであるから、皇帝選挙はもうけ仕事であった。 だから、聖職者たちも世俗的な人間と同じような行いをしたらしい。

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