マイスター制度、ギルドそしてレストランのはじめ

これも「休むために働くドイツ人、働くために休む日本人」で読んだことです。
この本は2004年3月発行の新しい本です。

ドイツのマイスター制度はすばらしいが、問題もある。
最近、特に都市部ではパン屋がチェーン化し、工場でできあがってきたパン生地を、
店先のオーブンで焼いているだけ。
日本の豆腐屋さんのように早起きで、朝の3時頃からパンをせっせと焼いて香ばしい
匂いが漂ってくるような昔ながら小さなパン屋はめっきり見かけなくなった
(ここらは、ドイツパン職人みちえさんのHPに詳しい)。
(蛇足ながら、私の町には手作り豆腐の店が数軒健在)
バイオリンマスターの場合 樹齢200年以上の木を北イタリアに伐採に行く。
一生のうちに3回伐採すれば十分。木1本で約300体のバイオリンができる。
バイオリン1体作るのにマイスターは160時間から200時間かかる。
160時間とはドイツの労働では1か月の労働時間である。
労働時間法により見習いたちには残業を強制できないが、マイスターには労働時間法は
適用されない。
ガラス関係の資格だけでも四種類
一般のガラス職人、ガラスを加工するガラス精製、ガラスを吹いて製作するガラス
吹き、ガラスに模様を加えるガラス絵師
【マイスターの規制緩和】
ドイツの建築家がオランダ人のセメント塗り職人を雇おうとすると
短期間ならドイツで雇用できる。実際にはさまざまなハードルがある。
商工会議所と手工業組合にドイツ人マイスターと同程度の技術のあることを証明しない
といけない。それから登記をして手数料を払う。こうしてドイツ職人の技術に劣る人材
を雇わないようにするだけでなく、ヤミ労働を減らすことに貢献する。
(実は賃金の安い外国人の職人をしめだす。彼らがたくさん入ってきたらドイツ国内の
職人の仕事がなくなる)
電気用品を販売する資格がないのに、傍らで修理を行い電気用品の取付までした人が
裁判になった。地方裁判所で有罪。上告したら、連邦憲法裁判所では、そのくらいの
業務をマイスターの資格なしでも許可できなかったかどうかについて審査しなかった
地方裁判所の判決をくつがえす結果だった。
これを期に徐々にマイスター規制緩和の傾向が強まって、厳格な区別をするべきでない
という市民の声が強まっている。
マイスターをとっても、日進月歩で進歩するテクノロジーに対し最新の技術を学ぶ訓練
をうけず数十年前の技術水準を誇るため、他者を排除し客のニーズにこたえず自分の
立場のみ守ろうとするマイスターにはきびしい世論。

マイスター ギルド制度はプロの質を下げないという面と自分たちの特権を守る目的が
ある。カルテルみたいな独占グループ
これについては、フランスにも面白い話があるのだが次に。

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1765年 ルイ15世の治世
「おなかが空いてたまらないあなた、当店にいらっしゃい。元気にしてさしあげよう」
この張り紙を見た二人の仕出屋ギルドの職人は「この店は、ふざけたことをしている」
と思って懲らしめてやろうと店に入った。
なぜなら、張り紙はマタイ福音書のキリストの言葉「疲れた者、重荷を負う者は、
誰でも私のもとに来なさい。休ませてあげよう」のパロディだったから。
しかも、店はどうみても酒場であった。
当時は、このような店はワインを客に出すだけで、自前の料理を出してはいけない
という、ギルドの規則があった。
ロティスールとよばれる肉のロースト専門店は、あらゆる肉はロティ(ローストの
フランス語)にしたものは売ってもいいが、肉を煮込んだラグーは売っては
いけなかった。
ラグーを扱うのはトレトゥールとよばれる仕出屋であった。仕出屋はソースを添えた
料理も提供できたが、ロティは扱えない。
そしてハムやソーセージ、パテなどで加工した食材や料理を扱うのはシャルキュトリ
と呼ばれる業者が扱った。
だからカフェや居酒屋では、自前の料理は客に提供できず、ロティならロティスール、
ラグーならトレトゥールから仕出しをとって料理を出さねばならなかった。

中に入った二人が、スープを注文すると、出てきたのは
器の中にパンを入れ、それにブイヨン(スープ)をかけたものだった。
たしかにブイヨンのスープはどんな貧しい暮らしをしている家庭でも自家製のものを
食べていて、ブイヨンまで仕出屋に注文するというほどのものではなかった。
二人の客はまだ何か自慢のものがあるなら、出してほしいと頼んだ。
すると、今度は羊肉の足を煮込んでクリーミーなソースをかけた料理が出てきた。
これを見て、二人は険しい顔になった。
「ご主人、この料理は仕出屋からのものではなく、自家製のものですね。しかし、
これは明らかにラグーです。自家製のものを客に出してはいけないのを個存知ですね」
かくて、この店の主人はギルドの規定違反で仕出屋に訴えられた。
しかし、裁判所は主人の主張を認め無罪とした。
なぜなら、彼は自分の料理はラグーではないと主張したからだ。
「ラグーは肉をソースの中でことこと煮込むが、当店の料理は肉とソースは別々に調理
したものです。ソースといっても、ブイヨンを煮詰めたもので、これを更に盛りつける
ときに肉を入れ、ソースを注ぐのでラグーではありません。スープの延長上にあるもの
です」
この判決以降、この居酒屋スタイルの店でも、自家製料理を提供する前例を認めさせる
結果となった。
「ではそなたに聞くが、店で出す料理は何というカテゴリーに分類すべきか、答えなさい」
この裁判長の質問に彼は雄弁に答えた。
「手前どもの料理はラグーでもロティでもありません。客の元気回復をはかる、
つまりレストレさせる料理です。そこでレストランと呼ばれる料理カテゴリーに分類
すべきと考えております」
こうして、新しい料理、その名もレストランと名付けられた、客の元気を回復させる
料理が生まれた。
それから、レストランは料理の名ではなく、そういう料理を出す店の名になった。

1776年には
ギルドの規則が廃止に追い込まれ、レストランはさらに自由に自前の料理を
出すことができるようになった。 

 

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