牛豚は食べてよい? 鯨や熊を食べてよい?
日本人は一般に、生き物をもてあそんでころすことを残酷とししている。
もちろん私たちも生きるため、食べるために動物をころし、
鯨もとってきたが、それはやむをえずのことであり、
「許してくれよ」とわびる気持ちがつねにこめられている。
ところが欧米人はまったくあべこべに、狩りは伝統的に文化の一部として
しっかり保持しながら、日本の捕鯨は野蛮だ、残酷だと非難している。
欧米人だって食うために牛や豚・羊その他をころしているのに。
欧米のキリスト教徒にとって、魂をもつのは人間だけである。動植物とか虫とかは
魂をもたない存在であり、いってしまえば石ころと同じである。その飛んだり跳ねたり
する「石ころ」を弓とか、槍、鉄砲などで動かなくするのが狩りだと考えている。
つまりこれは貴族が、心身の鍛錬のためにしてきたスポーツであり、
中世ではむしろ実戦以上の真剣な戦いであった。
人間が食べるものは小麦でも肉でも人間が作るべきで、それができず
自然のものを食べているのは、野蛮人であるというのが、彼らの基本的な
考え方である。
食べる肉は、牛であり羊・豚であれ、牧畜によって作って食べるべきで
ある。食べるために鯨をハンティングするのは、ちょうどアフリカのシマウマ
を射殺して食べるのと同じく、野蛮で残酷な行為である、と彼らは考える。
だから、私たちが鯨をころして食べるのと、彼らが牛・羊・豚などをころして
食べるのとでは、ヨーロッパ人の眼からすると、明確な一線が引かれることになる。
(木村尚三郎、ヨーロッパの窓から、講談社)
北米で狼と暮らす女性作家がいる。 先住民の血をひいている彼女は語る。 「私は狩猟を否定しない。必要な時に、最小限の量だけ捕るのは 命を粗末にすることではない。 自分を生かしてくれる命の大切さを実感し、尊重することにつながるから」 彼女が嫌うのは、むしろ現代の肉の生産方式である。 「ただ食べるために、お金のために、産業として大量の動物を 物のように閉じこめて殺すのは、恐ろしいことだと思う」 北米先住民も昔は、捕鯨をしていた。 捕鯨の際に宗教的儀式をして、鯨に感謝の祈りをささげた。 アイヌも、熊祭りをして、熊と神に感謝の祈りをささげた。 それらには食べるものと食べられるものとの間に魂の交流を しようとする努力があったと考えられる。
地元の夕刊(1998.12.24)記事を参考にしました。