私のドイツ研修旅行(フンボルト奨学生だったとき)
ALEXANDER VON HUMBOLDT-STIFTUNG
STUDIENREISE

旅行の終わりに

楽しい、いろいろ考えさせられたドイツ一周の研修旅行だった。
3週間だったが、こんなに集中して考えさせられた経験はない。
ドイツといっても場所により、言葉も風習も食べ物も建物も違うことがわかった。
留学生を無料でこんなに招待してくれるのは、なんとありがたいことだと思った。
夫婦で参加する場合は、配偶者の分の差額ベット代とか食事代など自分もちで
あるが、それは旅行の規模や内容を考えたら安いものだ。

毎日、パンとコーヒーの食事では、ストレスも溜まり、たいてい相部屋だったから、
夫婦参加者は問題ないが、単身参加者の場合は、あてがわれた部屋が他の人の
より若干劣ると(本人が)思ったりすると、わずかの差異が拡大され、
何度か、いらいらする人が出てきた。
食事のこと、習慣のことなど、外国人との旅行なので、それは避けられない
ことだったようだ。このくらいの旅行期間が限度なのだろうと思った。

ヨーロッパでは屋根裏部屋がある。空間は貴重だから徹底的に利用しようとする。
日本の建物でも、屋根の上に窓が突き出たものが見えるが、
たいていは装飾で、実用的にその屋根裏部屋の空間を利用しているものは少ない。
この旅行で、どこかのホテルで、そういう部屋があてられた。
人によっては差別されたと怒るかもしれないが、かねてから憧れていた私は
ジャン・クリストフと同じだと感激の一夜をすごしたものだった。たしかに
うっかりすると頭を天井にぶつけたりして、気をつけないといけないのだが。
窓から外も見えるし、雨がふっても雨漏りをしないのは、大工の技術なのだろう。
あのホテルはゴスラーだったか、リューベックだったか、ハンブルクだったか
もう思い出せない。記録をとっておけばよかったと反省している。

ドイツの女性は一般に強く、男に決して負けていない。
フンボルト財団から派遣されたガイドの女性は、きびきび、てきぱきと
案内してくれた。留学生の中にはビザの関係で、予定したコースがとられず、
その留学生だけ飛行機でベルリンに入ったりするなどの対応もとり
彼女の処置は立派だと思った。

バスの運転手は体格の良い男で、ちょっと勝手な行動をとるところがあり、
たとえば旅行中に自宅の近くの町を通ったら、なんとか理由を作って
自宅に立ち寄ったりした。その間、バスは休憩をとらなければならなかった。
高速道路でも、追い越そうとして、何度かガイドの女性から厳しくとがめられていた。

そんなことが何度かあって、彼女も運転手も長旅に疲れたのであろうか。
とうとう最後の日になって、彼女は怒ってしまった。(堪忍袋の緒が切れた)
ゲッチンゲンまで来て、あとは自由解散となった。本当はバスで最初に集まった地点
フランクフルト中央駅近くに到着して、そこで解散するはずであったのに。

「フンボルト財団は、ゲッチンゲンからみんなの町までの旅費を支払うから、
とりあえず立て替えておくように。あとは自分で帰りなさい」そう彼女は言った。
ばつの悪そうなバスの運転手はいつのまにか姿を消した。

この旅行の一行の中に日本人は4〜5名参加していた。
東大の法学部の先生が、日本人だけでも大変世話になったバスの運転手に対して
何か送ろうではないかと提案した。みんなその提案に賛成した。とりあえずその先生が
気を利かして、自分で買ったウィスキーを運転手に送った旨みんなに報告があった。

その時は、ともかく自宅に帰るまでで気持ちがいっぱいだったので、
その東大の先生に、自分の払うべき分の金額を払わないで帰ってきてしまった。
帰国してもそのままだった私は、ある時東大構内でしばらくぶりに、その先生の
顔を見たのだが、何人かの同僚と一緒だったので声をかけないでしまった。
そのうちに、フンボルト同窓会で会えるだろうと思っているのだが、いまだに
会えないままである。私は東京まで行って毎年4月のフンボルト奨学生の同窓会
に参加しているが、参加者は少なく、まだあの法学部の教授には会えない。

その後、広渡清吾先生はフンボルト同窓会の会長となりました。

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