私のドイツ研修
家族に送った手紙

 やっとFreiブルクに着きました。昨日の夜はドイツ語コースの中でもむずかしい
コースの集まりの中をのぞいたら、2〜3人の日本人がいてすぐ話し合う間がらとなりました。
前に本で読んだのですがHumボルトの奨学生はみな日本に帰ったら相当の仕事をする
ようなので、色々と貴重な出会いとなると言われていたけれどどうもそのようです。
東大の病院の医師、大学助教授など。服装ですが、ネクタイをして上着を着ていたのは
少数で、その東大の医師(おそらく助手クラスだと思うが、ただし医局長と言っていた)
に明日からはネクタイをしてこないほうがよいと言われた。みんなどこの大学生もラフ
なかっこうをしている。
 しかし、これまでの経験ではきちんとした服装をしたほうが信用があるようだ。
(時と場合によるが)荷物が重くてラフなシャツは持って来れなかった。
今日第1日目、日本人は少なくても10人以上はいる。みんな真面目でよく勉強が
できる。しかし、自分ではこれまでいろいろ勉強してきた結果ある程度限界を知って
いるのであまり無理はしないつもりだ。ここで勉強するのは話しをするコツ(聞き方、
自分の考えを言う言い方)だけど、これは自分である程度努力してそのレベルを
作っていかないとだめで、ただ相手から受けるだけでは効果的ではないことを
これまでの経験から知っているから、それにここでよい成績をあげるにこしたことは
ないが、まあよく勉強してその結果は気にしないほうが良いと思う。アメリカ人、
インド人、アラビア人なども多く彼らは日本人より外交的でまちがってもどんどん
しゃべるので上達が早いという。言葉は仕事にさしつかえない程度で良いと思う。なんとか
切符を買い電話をかけたり電報を打ったり切手を買ったりしてここまでこれたのだから。
 それよりもこの機会にいろいろの人と話しをしたり交際することで、ものの考え方の
発展性を養うのが一番よいことのようだ。全世界の人(学生)がいる。日本の将来を
になう人がいる。この下宿は2階に80歳のおじいさんと二人(部屋は別)。家族は4階
にいる。多くの日本人が世話になったようだ。なかなかいいところだと思う。部屋で
洗濯をして窓の外にほしなさいと言ってくれた。(本によるとドイツでは人の目に
ふれるところら洗濯物をほさないそうだが)  1981.8.17日本着

Freiブルクの2ヶ月が終わりました。最終試験、受けることは義務ではなかった
けれど、自分の勉強の成果を見るために受けました。合格しました。家族と2カ月
別れてくらしたかいがあったと言うところてしょうか。まだまだ日常の会話は大変です
が、少々自信がつきました。明日からDarmシュタットです。
  1981.10.1

ハイデルbergまで来ました。あと30分で目的地Darmシュタットです。
ここは観光地で20人以上の日本人を見かけました。
  1981.10.2

今日は2月24日です。昨日はカーニバルがあってKoeルン、Maインツ、Duッセルドルフ
の町ではカーニバルの行列が町中ねり歩きました。私は学校でソニーのカラーテレビ
で見ました。ドイツの食事にも慣れました。ソーセージはうまいけどあきてしまいます。
すりつぶしたじゃがいもは、やわらかくておいしいです。
スーパーマーケット(いちおうはデパートだが私の感じではスーパーの大きな店だと思う)
にはラーメンのSa幌一番が売っています。ただし、MiカドとかGeイシャという横文字
なので始めはわからなかった。そして発売の日付が古いのです。インスタントラーメン
は3ヵ月から4ヵ月が寿命だと思うけど、ドイツでは日本ほどやかましくないのか
ずい分古いものもあるようてす。春はそこまで来ています。
  1982.2.24

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