ベリンガー教授と偽化石
Prof. Beringer
ベリンガー教授はヴュルツブルク大学の教授であった。
当時、ぼつぼつ化石の意義が学会で注目され、教授はバイエルンの中部・上部
三畳紀の化石を研究して、本を出版した。
ところが、その本の中には太陽・月・星・ヘブライ文字などの化石があった。
これは同僚が教授を騙そうとして、石膏で化石を作って、裏山に埋めたのを、
何も知らない教授が発見して、沢山の化石を整理して、自分の本に載せたのである。
本が出版されてから、友人たちは今度は教授の名前の入った化石を埋めた。
それを発掘した教授は、さすがにかつがれたことに気がついたという。
この本が出版されたのが、1726年である。
当時の日本の状態を考えても、ドイツの学問は進んでいたことがわかる。
1720 キリスト教以外の漢訳洋書解禁
1721 吉宗、目安箱を評定所門前に置く。
1726 吉宗、オランダ人の馬術を見る。
化石という概念が学問的に確立するまでに、多くの学者の努力と長い時間を要した。
当時は、化石は神様の失敗作を埋めたものであるとか、
ノアの洪水の遺跡ではないかと考えられていた。
聖書の世界を越えた、地質学の資料としての化石の意義が認められるには
多くの議論や研究が必要であった。
1820年代の初め メガロサウルス、イグアノドンが発見された。
1842 イギリスの古生物学者リチャード・オウェンが恐竜と名付けた。
近代地質学の創立者ジェイムズ・ハットン(1726−1797)、
英国地質学図を出版した(測量技師)ウィリアム・スミス(1769−1839)、
「激変説」を否定し「斉一過程説」を広めた、ダーウィンの先駆者である
チャールズ・ライエル(1797−1875)などの研究成果の上に
ダーウィンが登場するわけである。
1859 ダーウィン「種の起源」
したがって、ヴュルツブルク大学のベリンガー教授の先駆的な研究は
ヨーロッパの学問の歴史の深さを感じさせるものであった。
私はヨーロッパの学問の歴史、ドイツの先人の足跡を思いやり
感動したのであった。