建設環境工学通論 平成15年度 応用化学科&材料物性工学科3年生

八田與一(はった よいち)

烏山頭ダムと嘉南大用水路

> 八田與一について > > この名前は授業の時初めて聞きました。インターネットでいろいろ検索してみる >と、どこを見ても台湾に貢献した人のように書かれてあり、意外だなと思いました。 >というのは台湾は日本の植民地だった時期があったからです。なぜ台湾を支配してい >た日本人である八田與一のことが良く書かれてあるのか疑問に思ったので調べてみま >した。 > まず日本と台湾の歴史:台湾は17世紀から20世紀にいたる台湾の約4世紀の歴 >史はそのまま植民地の歴史を表します。オランダから日本植民地統治まで。 > 日清戦争(1894〜5年)に敗れた清朝が講和会議において台湾住民の知らない >うちに台湾を日本に割譲したことは、台湾住民を怒らせた。  > >1910年、24歳のとき台湾総督府の土木科で働くために台湾に渡ってきた。当時 >の台湾はマラレアなどの伝染病が蔓延していたので若かれし八田は飲料水の確保と汚 >水を処理する下水道の整備に従事した。私はこの部分がすこし気になった。日本が台 >湾を植民地にする前にも他の国が統治してたのにもかかわらず上下水道が整備されて >いないなんて他の国の統治がおろそかであると思う。 > 彼は「嘉南平野」の工事に取り組んだ。この平野は、現在の嘉義市と台南市に跨る >台湾最大の平野です。ただ、雨季には洪水,乾季には干ばつと塩害の三重苦の不毛の >地だったそうです。嘉南平原の農民たちは雨季に米を作り、ふだんは水がなくても作 >れるさとうきびやピーナッツを作って細々と生活をしていた。嘉南平原の貧しい農民 >の暮らしを見て、なんとかできないものかと考えた與一は、この広い平原にどうすれ >ば耕作に必要な水を行き渡らせることができるかを調査しました。ここに灌漑設備を >設ければ、嘉南平150000ヘクタールが水田に変わり、今まで苦しい生活を余儀 >なくしていた農民たちも救われると考えた。 > 「不毛の大地」を「緑の大地」に変える壮大な計画にかかる莫大な予算と工期の為 >に台湾総督府と4年にわたる幾多の交渉の末、大正9年(1920)8月、この工事 >は許可された。同年9月1日、東洋一の規模を誇る灌漑設備であり、嘉南平野の農民 >が待ち望んでいた「嘉南大土川」の工事が開始したのです。しかしこのころ日本では >戦争の準備のために台湾にお金を回すゆとりがなく、與一の計画した工事はなかなか >始められませんでした。けれどこの時間も與一は無駄にせず、日本から招いた技師と >一緒にさらに調査を続け、より細かな計画書作りに当たっていました。また嘉南平原 >の農民たちが與一の計画を知り、「早く工事を始めてほしい。お金がないのなら、お >金も出します。工でも働きます。」という嘆願書を総督府のどんどん届けた。さらに >日本で起こった「米騒動」が、早く台湾で米を増産しなければという危機感をおおき >くさせ、そして、総督府は與一の新しい計画書を持って工事を開始するとの決定を下 >した。農民たちは生活に本当に苦労していたんだなと感じた。 > 私が與一のことを調べていちばん感心したことは、工事関係者に対する彼の心使い >と頭の良さである。工事に携わる人達が安心して完璧な仕事ができるように、工事関 >係者とその家族を一緒に住ませ、またその家族の為に、家族全員で住める宿舎、学 >校、テニスコート、倶楽部ハウス、病院、共同浴場、購買部等を原生林を切り開いて >作らせました。さらに、娯楽の少ない山の中、月に1度テニスコートで映画鑑賞会を >ひらいたり、運動会・野球大会などを自ら企画して、自分が先頭に立って参加してい >たそうです。また彼が囲碁などを始めると、その周辺は黒山の人だかりができたそう >です。こんなにも関係者やその家族のことを考えるができるなんてすごいと思う。こ >のやり方なら多少経費はかかるが工事従事者の士気も高まるし、與一のような指揮者 >と部下とのコミュニケーションも密にとりあうことができるので作業がスムーズに行 >えると思う。また彼には技師としての才能だけでなく人望も厚かったのだと思いま >す。 > 昭和5年(1930)5月10日、「嘉南大土川」の竣工式が行われた。計画以来 >13年、着工から10年の歳月が流れ、八田技師は44歳となったいました。そして >5月15日嘉南大土川の通行式が行われました。放水された水は、3日間もかかって >嘉南平野全容水路に行き渡ったそうです。この水に >より、三重苦に泣かされ続けていた不毛の地は、名実共に「台湾の穀物地帯」へと生 >まれ変わり、嘉南60万人に経済的な恩恵を与える事ができたのです。これでなぜ與 >一が台湾の人から尊敬されているかわかりました。「嘉南平野の父」としていつまで >も嘉南の農民の心の中に刻み込まれるのだろう。 > これは結果だけで尊敬されたのではなく人間として素晴らしかったからだと思う。 > 彼の功績は同じ日本人としてとても誇りに感じる。また同時に土木工学というのは >人間が生活していくうえでとても密接に関係している学問であることも再認識するこ >とができました。 > 世界にはまだ交通網や上下水道の整備されていないところがたくさんある。アフリ >カや実際に私自身おとずれたことの中国の西域などは日本とあまりにも違いすぎる。 >道路はガタガタの道で、トイレなんて隣と隣の壁さえなくただ溝があって水がわずか >に流れているだけである。病気が蔓延する要素がある。こういう地域で日本人が與一 >のように活躍してがんばってほしいと思います。 K 羽 正規