構造力学1 平成14年度

提出された作文  2002.5.13

 私の出身地は岩手の沿岸にある山田町です。宮古市の南側に位置し、 海に面した漁業の町です。人口は2万とちょっとくらいの 田舎町です。名物はカキ(?)で、大きいので生のまま食べるのが 特徴です。ちなみに私は食べたことがありません。 (主に関東のほうで食べられるらしいです。) あとは、うにやあわびでしょうか。時期になると、父親もうに (地元では、うにのことをかぜと呼びます)とあわびを採りに いきます。ちなみに父は漁師ではなくて、左官屋です。 あとは、知る人は知る、山田せんべいというものがあります。 このせんべいには生というものがありまして、これは噛めば噛むほど 昧が出てくるのです。友達にも知っている人がいました。 機会があれば買ってきたいです。  盛岡と山田では、ご存知の通り、ぜんぜん違います。 カワトクの様なデパートはありませんし、マリオスの様な高層ビルも ありません。盛岡に来てみての感想は、大きな北上川が流れているので、 橋がやけに多いと思いました。いまだに館坂橋と夕顔瀬橋しか 覚えられません。あと、大学の構内を出れば、緑が少なく、 残念に感じました。でも、マリオスの展望台から、 盛岡の街を眺めると、郊外には、結構緑がありました。 北上川の土手に降りると車の音が割と静かで居心地がいいことも 知りました。でも、川はかなり濁っていてびっくりでした。 山田は何も無いけど、自然があるから、のんびりできるので、 ゴールデンウイークに帰ることが楽しみです。山田にいた時は、 こんな町は早く出たいと思っていたけど、盛岡に来てからは 山田のよさも発見できました。  個人的に、山田と盛岡の一番の違いは、 盛岡ではごみの日に、朝に回収場所においていきますが、 私の住んでいた地域では、ごみは収集車が来たときに自分で 持っていかなければなりません。時間に合わせなければなりませんが、 からすがきて汚す心配がすくないので、衛生的だという利点があります。 あと、ネットや鉄かごがないので、町の見た日にもいいです。  ゴールデンウィークは3日に姉の運転する車で山田に帰りました。 ありきたりの感想ですが、自宅はいいなと思いました。 具体的にいい点は、第一に水道水が断然おいしいことです。 ほんと、うまいです。第二に、中学からの友達の家でくつろげる ことです。遊びに行くと、友達が留守でしたが家にあがらせてくれ、 適当に遊んでいるうちにほかの友達が集まり始め、最後に家主が 到着する、という具合です。ほんとにくつろぎやすいです。 第三に過ごしなれていた自分の部屋で安心してぐっすり寝られる ことです。今のアパートは、夜に人の話し声が聞こえてくるので、 なんだか寝づらいです。そんなこんなで、5日に盛岡に戻ってきました。 初めての里帰りはいいものでした。 ○ゴールデンウイークについて   今年のゴールデンウィークはとても疲れました。僕の実家は函館に あります。まず函館に着いてすぐに兄が住んでいる札幌まで父と行きました。 今僕の家族はばらばらに暮らしています。父は函館に、長男は網走方面に、 次男は札幌に、そしてぼくは盛岡にいます。たまたま家族の予定があって 札幌で5月2日の日いっしょに過ごしました。色々なところに買い物に 行ったり、食事をしたりしました。やっぱり一人で食事をするより大勢で 食事をとったほうがたのしいです。食事をとったあと、父と長男が どっかの店に飲みにいってました。次男と僕は家に帰り遊んでました。   5月3日朝早くに父が長男を仕事場まで送ると言って網走まで 行きました。網走方面はとてもしずかないいところでした。そして、 車の中からみる外の景色はとてもきれいでした。兄の仕事場に温泉が あってそこでくつろぎました。昼ごはんを食べてそれから札幌に戻りました。 戻ってすぐ僕は札幌にいる高校の友達にあいました。札幌駅まで地下鉄で 行き、駅周辺でご飯を食べました。友達の話をきいてるとなんか色々大変 そうでした。友達と別れでから家に帰り、映画を見てから寝ました。   5月4日今度は次男を乗せて函館に向かいました。父も疲れてきた せいか、居眠り運転をしていました。次男も寝ていて、僕がおきて いなかったら、いまごろどうなっていたか。ほんとうに怖かったです。 やっと函館に帰ってきて、なんか1ヶ月しかたってないのにすごく 変わってるところがあってびっくりしました。家に帰ってゆっくりできる と思ったら今度は知り合いと食事をしたりして、休む暇がありませんでした。 それでも、久しぶりにみんなにあえてすごく楽しかったです。   これ以降のゴールデンウィークはほとんど4日と同じ感じでした。 でも、今一人暮らしをしてみて思うのは、家族っていうのは、すごい 大事なもんだなと思います。それに知り合いとか、いろんな人に守られて いたんだと新ためて実感しました。高校のとき、正直何事にもやる気が おきなくて、ただ楽しく過ごせればいいと思っていました。家の中でも なんかボーっとすごしていました。けれど、一人になると本当にだめなもんです。 自分で何でもしなければならないと思うと、もう毎日プレッシャーを 感じます。だから、これからは早く大学生活に慣れて、いい親孝行を できるようにがんばっていきたいです。  私はこの春、岩手大学に入学し、盛岡で生活することになった。 入学試験のときに、何年ぶりかに盛岡駅から見た風景はまったく初めてに 等しかった。幼稚園か小学生の低学年のときに一度盛岡に旅行したことは あるが、わんこそばを食べたことくらいしか覚えていなかった。  私は青森出身だが、青森市と盛岡市の違いは、まず駅前の発展状況だと 思う。青森駅正面ロを出てまず思うことは、「空が広い」ということだ。 高いビルは駅前や、駅前商店街には無く、バスターミナルも確実に小さい。 それに比べて盛岡の駅前は、高いビルが密集していて、なにより都会的だ。 やはり新幹線の影響は大きいと思った。  それと道路の複雑さだ。盛岡は五差路が多く、道も青森に比べて狭い道も 多いが、信号や標識が複雑なおかげできっちりと整備されいてると思う。  大学に入学して、三年前に高校へ入学したときを思い出した。高校は 中学校に比べ非常にアバウトだという印象を受けたからだ。 しかし、さらに 大学へ進学してみると、すべて自分でやらなくてはならなく、教授によっては 私から見ると適当な人もいた。それくらいはだいたい予想できたが、 入学式で、大半が未成年であるにもかかわらず、お酒は控えめになどと 法律違反をみとめていたのにはさすがに驚いた。 高校まではそのあたりは非常に厳しかったのに、たった数ヶ月でこんなに 変わっていいものかと思った。 (1) 故郷(五戸)と盛岡の違い  まず推薦入試のとき、盛岡駅の中から見た盛岡の街並みに驚かされました。  盛岡は田舎者の僕にとって、駅前に並ぶビルの高さがすごく印象的でした。  次に印象的だったのは、地下空間の利用のしかたでした。僕の住んでいる五  戸町は、まだまだ田んぼが多く、利便性の点では100%都会には負けると思  います。五戸には地下道がありません。やはり、盛岡の地下道は便利だと思  います。あと、盛岡の道路は非常に入り組んでいて、よく行き止まりの道を  入っていってしまいます。だから、はやく盛岡の道に慣れたいと思います。 (2) 大学と高校の違い  大学と高校の一番の違いは自主性にあると思います。高校では授業を休めば  その教科の先生に、いろいろ聞かれます。しかし大学は違います。講義に出  なくていいと言うわけではありませんが、講義に出る、出ないも自分の意思  にゆだねられてきます。大学は高校と比べ、自由です。高校よりも早く授業  が終わったりします。その自由な時間の使い方で、すごく差が出ると思いま  す。大学では、自分の強い意志を持つことが大事だと思います。 (2)連休中にあったこと  僕と同じ高校からきた友達は、みんなゴールデンウィークに家に帰ってしま  いました。一緒に帰ろうよと誘われましたが、気が向かなかったので帰りま  せんでした。だから、特にした事というのはありませんでした。しいて言え  ば、五月二日に、部活動で新入生歓迎パーティをしました。先輩や同級生と  親密さが深くなって、とても有意義なものでした。 (4)構造力学で学んだこと   構造力学で学んだことは、遅刻をしたら講義を受けられなくなることです。   社会に出たら、遅刻をしては信用を失います。僕は大学生のうちに常識あ   る人間になりたいと思っています。今までの講義で学んだことは、あまり   多いとはいえませんが、これから様々なことを学び、吸収していきたいで   す。これからもよろしくお願いします。 ● 自分の故郷(水沢)と盛岡の比較  長く水沢に住んでいたためかどうかわからないが、盛岡は道が複雑な気がする。 どこを通れば最短ルートなのかがわかりにくい。自分が方向音痴なのは十分理解 しているのを踏まえた上で書いているつもりだ。はっきり言って疲れる街だと思う。 ● 連休中にあった事  水沢に帰ってみた。しばらく見ないうちにいろいろ変わっていた… 気がしただけだった。あまり変わっていない。やはり此方の方が落ちつく…が不便だ。 盛岡と足して平均していただきたい。 ● 構造力学で学んだ事  まだ数えるくらいしか授業を受けてないが、建築士になるためは 受けておいて損はなさそうだ。 ● 大学と高校の違い  大学は生徒の自主性に任せている様で大変自由で結構なのだが、 不親切でもある。まぁ、それが大学というものなのだから一向に構わないが。 大学と高校の違い  大学に入って、高校とは全然違うと思うことがたくさんありました。 まず第一に、全てが自己責任だということです。高校ではクラス担任や副担任がおり、 提出物などは担任に出せばそれでいいという感じでした。提出が遅れている人などには、 担任が声をかけて提出を促していましたが、大学では自分の責任で決められた時期までに 出さなければなりません。出すのが遅くなっても、提出を促す人はいません。 すべては自分の行動のみです。授業もそうです。授業によっては出席をとらないこともある ので、出席するかしないかは、自分で決めます。しかし、後にどうなろうがそれは自分の 責任です。高校ではいろいろお世話してくれた先生という人がいなくなり、自らが 行動を起こさなければ自分がしたいことができなくなり置いていかれます。  そして、第二に自由になったということです。決められたクラスはなく、自分が受け たい授業を選択し受講するという形になっています。高校では決められた教科を こなしていたので、ここが大きな違いです。また、服装や髪形も自分の好みによって いろいろ変えることができます。規制されることはありません。授業の空き時間も 外出してもよし、図書館に行くもよし、外でくつろいでいてもよしということで、すごく ゆったりと時間を過ごすことができます。  さらに、第三には単位制ということがあります。高校には単位というものがありません でした。しかし、大学では単位をとらなければ進級もしくは卒業すらできなくなります。 単位をとることは簡単でないことも知り、期末考査だけでは単位はもらえない授業もあり、 日々の授業の大切さをさらに実感しました。  また、専門の分野に分かれて勉強しているということで、授業の内容も共通科目だけでなく、 専門的なことが増えました。共通科目でも同じ1年次の学生だけでなく、先輩とも一緒に なったりするというのは高校では考えられないことでした。  授業時間も1コマ90分となり、高校の1時間が50分からは40分も長くなり、 集中力がなければつらいです。  このように大学と高校の違いを書いてきましたが、やはりいろいろな違いがあり、 今までとは違った生活を送り、緊張感を持った生活です。 5/2 この日は飛行機に乗りました。まず花巻空港までバスで行きました。そのバスに乗りながら 見た岩手の景色はこれまた格別でした。なんといっても河がきれいでしたよ。いいですね 岩手は。そして飛行機がバヒュルンってな感じで大阪につきました。そこでおみやげを 買い大阪から鹿児島まで飛びました。そしてその後の鹿児島→奄美行きの便に乗り換えを する時はあせりましたね。乗り換え時間があまりにも少なすぎて全力で走りましたよ。 そしてそんな長旅を終えて実家のあ奄美大島に到着しました。そこでの感想は 「奄美ってこんなにあったかかったっけ?」でした。夜にもかかわらずあのあたたかさは すごいなあと思いました。そんな風に思いながらこの日は終わりました。久々に実家に 換えって落ちついたのかもしれないけれどぐっすり眠れて最高に幸せでした。 5/3 この日は親戚の家をいっぱいまわってきました。奄美の気温はとても暑く、半そでじゃないと 外にでれない程になっていました。そしてそんな暑さの中でも農業をしていたおじに感動 しましたがこれといって手伝うなどという気はしませんでした。その日は自分って いや〜なガキだと思いました。しかし本気では反省しませんでした。 5/4 一ヶ月ぶりに友達と会いました。やはりみんな人の変化に驚いていました。しかしこの時 僕は思いました。「テメェほど変わっちゃいねえヨ」と。そしてこの日はこれといって 大した行動もせずにただダラダラと友達といっしょに「大学は大変だよなァ」とかいう話を 語っておりました。 5/5 お父さんといっしょに魚つりに行ってきました。河は岩手のきれいさには完敗ですが 海に関しては正直沖縄なんか比べものになんねえヨ!!って思います。まあこれは ただの地元びいきかもしれないので機会があれば見に来ることをおすすめします。 しかし、案内はプロに頼んでください。そして短い間でも実家でのんびりすごして 楽しかったです。こんな風にゴールデンウィークはず〜っとすごしてました。 地形にはこれていった違いはなかったためこんなことしか書けませんでした。  私は国際交流会館に住んでいます。私は初めて日本に来ました。だからちょっと 日本語とか生活とかなれにくいと思います。しかし、国からお金をもらって ここにおれて難しくても頑張らなければなりません。先輩がいても専門が違うから、 自分で勉強するしかない。ここに来た友達が先輩と同じ専門を受けているから 大丈夫だと思います。  私は実は測量者になりたいです。でも帰国すると仕事がないというおそれがあるから 私の希望はエンジニアに変わってきました。  盛岡での生活は、私にとってとてもおもしろいです。先輩と友達がいるから 幸せだと思います。食べ物が安いからいいと思います。でも、ほとんどの食べ物に 豚肉が入っているから私は自分で料理を作ります。私はイスラム教ですから 豚肉がだめです。  大学と高校の生活はもちろん違います。高校のとき先生がぜんぶ教えてください ました。もちろん言語はマレー語です。大学の勉強がほとんど自分でするのですから 少し大変です。でも大学生ですから、自分の力を使って生活をします。  私はエンジニアになりたいから、なんとなく全部の科目が好きになりました。 分からなくても好きです。新しい言語を使って勉強をしておもしろいと思います。 でもおもしろくてみも大変です。しかし、国と家族のために頑張りたいです。  いつも小テストのときに満点がとれません。どうしてかというと問題が分からないから。 しかし、先生が親切ですから、少なくても私に点数をくださいました。うれしいです。 私の目的が満点をとることですから、毎日頑張っています。毎日4:00AMに起きて お祈りをして勉強しています。でも、少しだけ勉強の内容がわかってきました。  しかし、時間はまだあるから、試験の前に私はできるだけ準備しなければなりません。 だから、きっと、全部の単位が取れます。 大学と高校の違い  大学生活が始まり、約1ヶ月がすぎました。始めのうちはいろいろととまどうことも ありましたが、だんだんと慣れてきた頃だと思います。大学と高校とでは様々な場面で ちがいが多くみられます。  まず授業についてですが、高校では全員に同じように与えられたものを、決められた 時間割通りにこなしていくという形でした。しかし大学に入り、決められた単位数の中で、 自分のうける講義を選んだり、履修申告をしたりということに、最初は何だことといった 感じで、わからないことだらけでした。また、大学では高校までのように朝と帰りの ホームルームというものがなく、何に関する連絡も、みずから掲示板により確認するしか ありません。大学では、個人の勉強に対する意志みたいなものが大切なんだと思います。  講義内容は、専門的なことばかりで、大変だとも感じますが、高校の広範囲で行われる 授業よりも、興味をもって取り組むことができます。学年が増えるにつれて、ますます 難しくなってくるだろうと思いますが、がんばってやりたいと思います。  授業のたびに教室移動が多いのも、大学の特徴なのかなと思います。始めのうちは広い 学校の中から講義室を番号で探すのが大変でしたが、だんだんと学校の中の様子もわかって きました。  大学は学科の人数がとても多くて、まだ名前を覚えきれませんが、学校に慣れてきた今、 みんなとも交流を深められるようにしたいと思います。  初めて盛岡に着いたのは、2月末つまり受験前日で、地元と違ってとても寒かった。 テレビで天気予報を見ると、予想最高気温は驚きの−10℃。これは何かの間違いだと 思った。酒田では全く聞いたことのない数字だから。  酒田市は山形県にあり、海がある港町である。そのために、真冬でも盛岡ほど寒くなる ことはなかった。確か寒い時でも−2℃、−3℃だったと思う。雪もそんなに積もることは ない。しかし、ここは風がすごく強く、地吹雪が起こり、車に乗っているとすぐ前の車の 姿が見えなくなることがある。だが、盛岡に比べると暮らしやすいと思う。  そして、入学してから1カ月ほど過ぎ、違いに気づいたのは、気温についてであった。 盛岡は最高気温と最低気温の差が大きく、朝寒いと思って家を出たのに昼には暑くなっている。 これは、酒田とは違っていて驚きだった。地元はそれほど大きな気温差はなく、穏やかである。  また、町の違いもあった。盛岡は酒田に比べるともっと都会だと思っていたが それほどというわけではなかった。たしかに地元より都会である。酒田には新幹線は通って なく、駅も淋しいもので、ホームと待合室ぐらいしかないものであり、街もそれほど栄えて いない。でも、一部のことを除けば、盛岡と酒田の違いってないと思う。  これから4年間住んでみれば、人の違いなど見つけることができるだろうと思うので、 じっくりと盛岡について知っていきたいと思う。 この連休中にちょっとした冒険をしてきた。回りの友達は連休中には帰省する人ばかりであったが、 自分は時間とお金の関係で寮に残ることにした。しかしよく考えると4日間も何をして いようと思い、何気に思いついた「一人旅」にだんだんと本気に考えるようになり、そして 実行してしまった。実に思いついてから実行への意志が固まるまでの時間は1時間もかかって いなかった。一人旅というのは秋田県の男鹿市まで自転車で行ってみようというもの。 その自転車も変速のついていない普通の安い自転車で、部屋の先輩にも無謀だと止められたが 意志の固まっていた自分は強行してしまった。 男鹿には同じ寮の友達の実家があり、友達は汽車で帰ったらしかった。出発は5月2日の 午後からだった。事前に地図等で男鹿までの距離を計り、自転車の速さを考慮して推定所用時間 を計算したところ10時間くらいと出た。一応峠越えの時間も盛り込んだつもりだったが、 10時間で着けなかった。その出発の日、自分は午前中のみで授業が全て終わり、その男鹿の 友達は午後からも授業があった。よって友達は盛岡を列車で発つのは夕方であった。 もしかしたらpm1:00に自転車で出発した自分の方が早く、もしくはほぼ同時に着くのでは ないかというくだらない考えも浮かびあがったくらい。当然列車の方が速いわけで、自分の 考えがいかに甘かったか痛感させられた。秋田市に行くまでの道は意外と単純でほぼ一本道 だった。国道46号線を延々と行けば秋田市には着いた。そこからは標識に従って行けば なんとか男鹿には着いた。その出発した日は快晴で気温も20℃を超えていた。盛岡を発って 3時間弱で雫石に着いた。ただ暑く汗が噴き出すだけで、平坦な道をひたすらこけばいいだけで 楽だった。今、あの冒険を振り返って一番大変だった場所は奥羽山脈を越えることだった。 雫石を過ぎてしばらく行くと峠にさしかかり、変速のない自転車で山道を登るのは泣きそうな くらいだった。仙岩トンネルを抜けると県境のあたりで秋田県の標識が出たので志気が上がった。 秋田市までの残りの距離を示す標識を見るたびに着実に目的地に近づいているなと思え、 さらにやる気が出る次第だった。実際、気力と裏腹に肝心の足の方が先につぶれそうな勢い だったが、初めて見る風景に感動しながらかろうじて最後まで耐え抜いた。自分の恐ろしい 脚力にもびっくりしたが、何より自転車がゴールまで一度も不調を訴えずに頑張ってくれたことに 驚きと感謝をしている。その時から自転車は一生の友達になるかもしれないと思うことも 何度かあるようになった。確かに辛かったけど、何より楽しかった。自ら設定した大きな 目標を達成したとき、今まで味わったことのない莫大な感動と達成感が生まれた。こいでいる 時も足の疲れがあっただけで途中で帰ろうとか、そのようなマイナス思考の考えはなかった。 自分は旅が好きらしい。次の機会があれば、仙台にでも又自転車で行って高校時代の友達に 会いに行くのもいいものだと思う。 私の故郷は東京です。 東京に住んでいるときは、自分の住んでいる環境について何も思うことはありませんでした。 東京を離れても、多くて5日間くらいで学校の作文などにいろいろ違いを書きましたが、 よく言われていることを書いただけで、ただ面白い旅行にすぎませんでした。でも岩手に来て 思ったのは、水と魚がおいしいということです。水道水は消毒のにおいなどしなく、魚は 冷凍を何回もくり返したような生臭いにおいはしなく、でもこれもたいした違いではなく、 水道水は浄水器をつければなんとか飲めますし、魚も小魚なら食べれました。 一番の違いは、家族が、大切な人が東京にいて、岩手に、側にいないということです。 今までこんなに長い間、家族と離れたことはありませんでした。テレビなどでよく、離れると 家族の大切さがわかると、よく言っているのを見て、自分は十分家族の大切さがわかっている つもりでした。わかっていると思い込んでいました。でも、頭ではわかっていても、実感として わかってなかったのです。いつも同じ家にいるのがあたりまえで、夕食の時間になれば食事が できてみんなで一緒に食べて、面白いテレビが始まればみんなで一緒に見て笑ったり怒ったりして、 朝起きると「お早う」と言い、寝るときは「おやすみ」、家に帰ったときは「お帰り」 あまりうまく言えませんが、とにかくいつも、あたたかかったものがなくなった感じがしました。 そばにいないと話せないんです。テレビ電話ができたとしても、生ではないんです。側にいると いうことはとても大切だと思いました。大切な人とは、離れるべきではないと思いました。 GWに東京に帰り、生の家族を見て、自分は今までなんでこの中にずっといてありがたいと 思わなかったのか、なんで離れたのかと悩みました。でも、離れたおかげで、こういう気持ちを 知ることができたので、どっちが良かったかはよく分かりませんが、本当に自分にとって 大切なものがわかった気がします。東京は家族がいるところ、盛岡は自分にとって夢の第一歩で あり、自立への第一歩だと思います。