中村房次郎

明治後期から昭和戦前期にかけて、横浜の政財界の重鎮として活躍した中村房次郎(1870〜1944) 中村は増田嘉兵衛の次男として生まれ、増田商店に入り、のち松尾鉱業株式会社や日本カーボン会社を創業し、 横浜興信銀行副頭取、横浜商工会議所副会頭などを歴任した。 また1902(明治35)年の市会議員選挙に当選後、刷新派として活躍し、 横浜政界における立憲同志会−憲政会−民政党の有力な後援者となった。 文書の大半は、横浜及び中央政財界の重鎮からの書簡で、震災復興期の横浜市政を研究する上で 不可欠の資料群である。  昭和初期の頃、横浜の生糸貿易から重化学工業化への移行があり、中村も松尾鉱山などの経営に軸足を 移していった。    横浜開港資料館    横浜開港資料館公式HP      開港当時の横浜地図