構造力学 1年生の夏休みの感想文 2000.9

第一号は電子メールで送られてきた。 7月24日 「人間関係をよくする」を読んで(橋の文化史の他の本も数冊指定しました)  人間は、なにかしら生れた時から誰かの助けを受けて生きている。 それゆえ、孤独には耐えられないばかりか、相手に依存し続けようとする。 私もこの傾向が、人一倍強いような気がする。 大学に入学して、メールをやりはじめるようになった。 メールは手紙と違い、文字としての温か味も感情も相手には伝わらないのでは?、 と思っていた。しかし、情報社会の魔術にかかったのか、そういう思いは消え、む しろメールを受け取ることが楽しくなった。 どうしてかと不思議でしょうがなかったが、多分理由は次のようなことだと思う。 毎日会っているような人とのメールのやり取りは、相手のことをもっと深く知るこ とができるからだ、と思う。だからある意味、手紙と同じような気持ちが持てるん ではないだろうか。 しかし、ここでのポイントは「毎日会っている人」というところだと思う。何ヶ月 も会っていない人や名前も知らない人とは、メールのやり取りでさえも、進んでし たいとは思わない。 この本に書かれてあったが、自分から積極的にふれあい、ヒューマンコミュニケー ションを活発にすることは、大切なことだと思う。だが、私のように初対面から相 手を疑って、じっくり観察してしまう人間には、もっとも無理な行動の一つだと思 う。 私は、無理に積極的になろうとするのも好きじゃないし、自分の個性が出せなくな るのも、好きじゃない。だから、私の考え方として、人と接する時はマイペースが 一番いいのでは、と思う。 こういう理由で、メールが私の今の楽しみです。 上下関係というものは、いつでもついてくるものである。 私が高校の頃、そのことですごい悩んだことがある。 それは後輩の指導という面でであるが、かなりの間悩まされた。 後輩にしてみれば、当然当たり前の話し方なのだろうが、先輩である私たちにして みれば、違和感のある話し振りであった。 この事から、私も大人からは変な話し方だ、と思われているのではないか、と思う ようになった。そして、話す時は注意を払うように心掛けている。 そういう意味で私は、後輩から接し方の見直しを考えさせられたのだと思うし、い い経験にもなったと思う。 やはり、人間関係というものは、ある意味難しいが、面白味のあるものではないか 、と思う。 私は、もっといろいろな人と出会い、話せればいいと思っている。 最後に、私の感想文を読んでいただき、本当にありがとうございました。 第二号も電子メールで送られてきた。 8月17日 まず、一言。古代の人はすごい。何も前例のない状態で橋を作り始めたという事が、当たり前なのだが、 すごいと感心させられた。「向こう岸へ渡りたい」という思いは、ごく自然なことである。しかし、それ を実現させるためには、たくさんの人の様々な考え・努力が必要となる。 先史時代の簡単な石の橋の例には驚いた。大きな岩一枚で両岸をつないでいる。こんなに大きな岩を運ぶ のは本当に大変だっただろうと思う。一つの橋を架ける為には、橋床だけでなく、両岸の支持台や橋脚も 必要となる。「労働者をいかに組織し、効率的に働かせるか。」この問題は、今も昔も変わらないのだ なぁと思った。 時代は進み、ブロックが現れ始めると、運ぶ苦労はなくかったが、石を組み合わせることが必要となっ た。この技術の開発場所は分からないとこの本には書いてある。そして、この技術は簡単である為、子供 達が積木で橋を作ろうと思ったとき、子供達は容易にその技術を見つけ出していると書いてあるのだ。私 はこの技術の図入り説明を読み、「あぁ、そういうことだったのかぁ」と納得した。私も幼いころ、積木 でよく遊んでいた。家や橋、色々な物を作った。しかし、当時は何となく積んでいただけで、理由など知 るはずもない。張り出された石が安定した状態を保つ理由。それは、その石の重心がしたの石の上にある からであり、やがて重心が初めの石に外にはみ出してしまっても、崩れない。日常生活のちょっとしたこ とにも、きちんと理由はある。この本のおかげで、再認識させられた。そして、理由を知る事が楽しく なった。もっとたくさんの事に疑問をもち、色々な事を知りたいと思う。 鉄道のための橋建設は、今までの方法や数値を使って作る事が許されなくなったという。たしかに、た だ人が通るのではなく、列車という重い物体が通るのがから、それに耐えられるくらいの物でなくてはな らない。橋の倒壊事故は、起こしたくない。新しい方法として、「橋の構造について、あらかじめ計算が できる」というようなことが必要となり、現代ではそれができるのだから、本当にすばらしいと思う。 そして、鋼とコンクリートの時代がやってきた。私はコンクリートと聞くと、ドキッとする。去年のト ンネル内のコンクリート落下事故を連想するからである。落下の原因としては、海砂の利用や、手抜き工 事などが考えられるということであったが、橋やトンネルという、たくさんの人が利用する公共のものに おけるこのような事故は、安全に安心して生活していく為に、あってはならないと思う。だから私が将来 もしこのような仕事に就いた場合、重々気をつけるべきだと考える。 今回、夏期課題ということで、この本「橋の文化史」に出会えた。この本には、たくさんの図や写真が 載っていた。その影響で、実際にドイツに行って自分の目で見てみたいと思った。何年先になるのかは分 からないが、いつか必ず行って、橋を見て、渡ってみたいと思う。 なかなか書けないという学生からの電子メールに、私は次のように書きました。 ○○さんは きっと上手に書こうとして気だけ前にいき 理想とくいちがう現実を見て、これではいけないと悩むのですね。 みんなそうなんです。少し感覚のするどい人はそれだけ悩む。 多少鈍い人はその点は楽なのですけれど。 ともかく、書けるだけ書いてみて下さい。 これは構造力学の成績に関係ありません。 下手な文章でも減点しません。(でも、感銘を与える文章には加点するかもしれない) 練習なんです。 将来、就職試験で作文の課題を出す会社は相当あります。 また、会社に入社しても公務員になっても、計画書とか報告書を書く機会は ごまんとあります。 書くことに慣れたほうがよろしいと思います。 書いているうちに上手になるものです。下手にはなりません。  これは愛のムチ。 元気をつけるお囃子。 第三号も電子メールで送られてきた。 8月26日  この「橋の文化史」を読んで、それまでに持っていた橋に対するイメージと今、現 在持っているイメージが変わりました。今まではただなんとなく橋を大きいとか狭い とかいうふうにしか見ていませんでしたが、よく見るあのアーチ型の橋というのは、 数千年も昔から橋ができるだけ丈夫にするために工夫された結果できた形であること を知って、少し驚きました。そしてこれからは違った視点で橋を見ることができるよ うになったと思います。また、橋の利用目的というのは人や車が通るためだと考えて いましたが、その歴史的背景を見てみると軍事的な目的により建設されたり、水を運 ぶために作られた水道橋が数多くあることを知って、橋は人間の生活や活動のために は極めて重要であるということをあらためて認識することができました。  しかしあの古代の人はすごいのではないのでしょうか。数千年も前に橋をただ単に 架けたのではなく、力学的要素もしっかりと取り入れていたというのにはおどろきで す。もし自分が、物理学がしっかりと確立されていないだろうその時代に生まれてい たとしたらその古代の人のようにはできなかったと思います。  橋に関して自分の身近であったことがいくつか思い当たります。ひとつは高校に行 く途中の橋のことです。その橋は完成予定よりも1年くらいおくれてから開通となり ました。測ったわけではありませんが全長は500メートル以上はありそうな結構大 きな橋で、完成がおくれることを知るたびに、”工事屋は何をしているんだ!”と腹 を立てていましたが、この本を読んで、橋を作るのはいろいろな苦労があり大変であ る事を知って、工期がおくれるのは仕方がないのかな?と思えるようになりました。 もうひとつは大きな橋のことではなくほんの小さな橋のことではありますが、とある 駐車場に流れる幅1メートルほどの小川に橋を架けるときにも緻密な計算をしなけれ ばなかったことがあったことを覚えています。大きな橋ではなく、小川に架けるよう な小さな橋を設計するのも大変であるというのを今になって知った気がします。  話はまったく変わりますが、今までいろいろな橋を見てきましたが思い出してみる と、綺麗な橋が多かったと思います。高校に通う途中にあった橋もそうですし、隅田 川に架かっている橋なども綺麗なものが多いのではないのでしょうか。隅田川に架か る橋の中では今ではもう動かなくなってしまいましたが可動橋の勝鬨橋がお気に入り です。当然写真でしか見たことがありませんが、人も車も止めてまるでバンザイして いるかのようになるあの立派な姿はすばらしい思います。  このように橋を作るのには安全面を考えた上での設計、美しいものを作るためのデ ザイン、完璧なものを作ろうとする工事があり、それらがあわさってできる、ある意 味では美術品と呼ぶにふさわしいものなのではないのでしょうか。 第四号も電子メールで送られてきた。 9月4日 あれっ締切ぎりぎりだ 「日本のエイズ」を読んで(橋の文化史の他の本も数冊指定しました) 私はエイズという言葉を初めて聞いたのはいつだったのかは覚えていない。 でも、エイズは恐ろしい病気だと衝撃を受けたのは、中学校の保健の授業だと はっきり覚えている。その日からTVのニュースなどでエイズのことはよく耳にはしたが、 詳しく知ろうとは思わなかった。ただ恐ろしいとはとは思ったが、自分には関係無い ことだ、またそうであってほしいと思っていた。しかし、何気なく選んだこの一冊が 私の考えを変えた。  この本の筆者は、参議院議員という立場であるので、政府がエイズに対してどんな対策 をしてきたのかを知ることができた。この筆者のように、日本よりエイズ感染者が圧倒的 に多いアメリカやヨーロッパを訪問し、日本のエイズ対策を進めた人達の存在は、尊敬 するべきだと思った。筆者のような人がいなければ、エイズの恐ろしさを知らずにいた 日本人も多いのではないかと思う。また、間違ったエイズについての知識をもった人も 多かっただろう。  この本の中では、エイズのキャリアである人との会話が書かれている。それを読んで 思ったことは、普通の人々以上にそのキャリアである人に人間らしさを持っているという ことだ。キャリアだと知って自分の行動が二倍、三倍になったと言っているのには、 正直驚きだった。エイズという身に迫ってくるものに対して、やる気を出し仕事や結婚に 一生懸命なエイズのキャリアの存在を知り、その心に感動する反面、エイズというものが どれくらい深刻な病気かを感じることが出来た気がしている。  この本が出版されてから何年か経っており、発病を遅らせる薬など医学は発達してきた。 しかし、国際化が急速に進む日本では、欧米でのエイズの蔓延を他の国のことだと考える 状況ではないという危機感は強まる一方だと思う。また、いっこうに問題としてある援助 交際など、エイズに感染する恐れを増す行動が日本では目立ってきている。そんな状況に、 もっとエイズの恐ろしさを知り、自分を大切にしてもらいたいと思う。この本を読む前の 私のように、エイズなんて自分には関係ないと考えることは、今の国際化を進める日本 では恐ろしいことだと思う。また、同じ日本人の中にエイズで苦しむ人達がいることを 忘れてはいけないと思う。その人達を避けるのではなく、もっと理解を深め、その人達に とって生活しにくい社会をつくることがないようにすべきだと思う。あとは、エイズ ウィルスを死滅させる薬ができる時が早く来るよう願っている。 第五号も締切り日に電子メールで送られてきたのです。 「野次馬劇場」を読んで(橋の文化史の他の本も数冊指定しました)  この本は様々な事に対して書かれてありました。私は少し反論したい部分もありました が、初めて知って勉強になった事もありました。  私は歴史が嫌いです。昔の事を知って今に生かす事は大切な事だと思います。しかし、 現実ではどうでしょうか。まわりに目を向けてみると全く−−−−−とは言わないものの ほとんどは生かされていないように思います。いや、身近にあった悲しい出来事に対して は敏感に対応し、遠くであったような出来事のようなものには鈍感で自分とは関係の無い 事としてしまう。と言った方が良いでしょうか。忘れられた“ほんの昨日のこと”と知る たびに益々そう感じてしまいます。私は昔の出来事よりも今の自分達を見つめ直す必要が あると思う。国際社会と言われている今、日本では当たり前のように行われていることで も海外ではそうではないことが多々ある。この本に限らず、様々なところで日本人のマナ ーの悪さが取り上げられています。そんな事を知ってか知らずか、一向に改善される様子 がありません。  この本によって益々海外の恐ろしさを思い知った。ここには筆者自らの体験が述べられ ている。私も様々な国へ訪れたいと思っているが、是非「海外安全情報」を知った上で 旅行したいと思いました。でも、海外は決してそのようなことばかりではない。何より 素晴らしいのは出会いではないだろうか。スリランカの奨学金の話もそうである。私から すれば大金ではあるが、30万円によって、またその後の多くの人の善意で集まった 200万円以上のお金によって、スリランカのメディアは大分変わってのではないだろうか。 それにしてもそのような貢献する人の心をどうして日本は良い方向へと導かないのだろ う。本当に悲しむべきことだと思う。  この本の筆者は素晴らしい人だ。素直にそう思う。肩書きも素晴らしいものを持って いるが、そういうことではなく、いろんな体験をして生きていることからも伺われる。 私はこれからどう生きるのだろう。人生が長かれ短かれ有意義なものにしたい。 この本に出会えたことでもその一歩が進めたと思う。 以上を感想文として提出します。正直書くのは大変でした。様々な事に対して書かれた 本でその場面場面で私も様々なことを感じ考えました。しかしそれは1000字では 収まりきれませんでした。でも、本当に読みがいのある本だったと思います。 (本を読んでいない人のために説明しておく)(アテネの町で話しかけられた相手にだま され連れ込みバーに連れて行かれた話。ベニスの雲助タクシーの話。パリの高級ホテルで チェックインの手続きをとるときカウンターに置いたアタッシュケースが盗難にあった話 など)(日本留学したスリランカ人の若者から頼まれて、スリランカの優秀な院生に奨学 金を与えるために、30万円送金した。この利子で何人かの院生の授業料にあてられた。 これが東京の新聞に載り、知人たちが応援して200万円をスリランカに送ることができ た。しかし、大蔵省の指定した相手先以外の寄付には免税にならない。国内の学術文化に 対しても同じ問題があり規制緩和の対象にすべきであるという著者の意見) 本日4日は9月の最初の講義の日 でも、提出された作文は全部で6つ。 「アメリカは楽しかった」を読んで(橋の文化史の他の本も数冊指定しました)  私はこの本を読んで、まずアメリカに憧れた。アメリカは日本と本当に違う部分が多く、 ときどき日本のこんなところがいやなんだよと思う私にとって、とても魅力的に思えた。  この本の作者と息子たちは、新しく暮らしはじめたアメリカの土地で、けっこうまわり の人に助けられながら1年間暮らした。私は、アメリカ人は個人主義というか何というか、 まわりの人のことはあまり気にしないで自分のことは自分でという人たちだと思っていた が、どうやら違っていたようだ。たとえば作者の家に、「息子がうちの娘に学校でひどい ことをした。あした10時に校長室の前にいろ」という内容の、ありもしないあやしい 電話がかかってきたことがある。作者が知人に相談したところ、すぐに私服を着た警察官 が家に来ることになったという。どうやら、知人から学校の先生、そして校長先生を通 って警察へ..と、すぐに連絡がいったようだ。アメリカはさまざまな犯罪もあるし念に は念をという感じで警察にまで話がおよんだのだと思うが、日本人ならただのイタズラだ ろうとうやむやにしておくと思う。アメリカ人は行動力があると思った。  学校教育の面でも、日本とは異なった点がいくつもあった。日本では、保護者会などと いったものがあると、親はただじっと座って学校側の説明を聞いていることが多いと思う が、アメリカでは親がさまざまな発言をするそうだ。学校をつくっていくのは学校の職員 たちというよりは、その学校に通っている子どものまわりの人々なのだ。日本では、学校 にかかわるさまざまな問題があるが、学校のせいにするよりまず自分たちが学校をつくっ ていって、よくしていくというふうにすればいいと思う。やはりこういう点でもアメリカ 人は行動派だと思った。  アメリカでは、日本よりも、何事においても「こうあらねばならない」とか、「こう ならなければならない」ということが少ないように思う。「自由の国アメリカ」という 言葉は、まさに!といった感じだ。自由の中にも規律があって、個人個人が自立していて..。 不満があればどんどん変えていける。日本とアメリカとをくらべてもしかたがないかも しれないが、日本の方が考え方が凝り固まっているような気がした。  アメリカには、この本の作者と2人の息子が行ったのであるが、作者は大学で英語 を教える先生なのだからまだいい。2人の息子ははじめのうちは英語がわからずかなり 大変だったようだ。しかし、英語にかこまれた生活の中で、しだいに慣れていった。人の 適応する能力はすごいものだと思った。作者は、この2人の息子を見てきて、英語(外国 語)は必要がなければ忘れるが、必要に迫られれば必ず覚えるといった。このこととは 全然違うことだけど、私は大学に入ってから標準語を話しはじめた。本当はなまっている のだが、岩手に来てからはじめの数日ははずかしかったが、今では普通にまわりの人たち と同じように標準語を話す。これも適応であろうか。  この本を読んだ今、私はアメリカに、そしてアメリカ人に憧れている。アメリカ人の ように、ちゃんと自分というものを持っていて、自分の意見もはっきり言え、そして考え 方も自由で...という人になりたい。私は、自分は本当に「日本人」だなと感じること がある。アメリカ人から見た日本人のような人なのだ。何か新しいことをはじめようと 思ってもためらってしまう。アメリカ人なら失敗をおそれず進んでいくんだろうなと思う と、アメリカ人がうらやましい。  この本の作者と息子たちは、アメリカという新しい土地で、さまざまな困難にあいなが らもうまく暮らしていった。この本を読んで、私は何か新しいことにチャレンジして みたくなった。 このような専門の用語がたくさんついた本を読むのは、初めてのことだったので、読み はじめて最初に感じたのは、とまどいでした。それは、このような本が自分に読めるのか というのと、最後まで読み終わったとしても、はたして理解できるのかという2つです。 その2つの不安は読んでいくうちに徐々に解消していった。というのは意外にも脚注に書 かれてある図や解説がおもしろく、時代背景などにも思っていたより多くふれていたからです。  古代ローマ人の世界では、ローマ人が水道橋を作ったということは、私も前から知って いる程有名です。しかし、ローマ人の前にエトルリア人がいたからこそローマ人も大きな 業績を残せたのだということを忘れてはならないと思った。また、コンクリートというも のは、もっと後の時代に開発されたのかと思っていたがすでに古代からあったということ には本当に驚いてしまった。  その後、中世になると、時代の背景が大きく影響を及ぼしてきていると感じました。 宗教的な支配、経済の発展などが重要視され、建設面で、あまり大きな発展はしなかった のも理解できました。橋の建設されない時期が長かったために、ローマ人の知識を伝える 者がいなかったからだと思った。しかし、その独自の宗教的な文化のため、丸天井、ドー ムなど、美しさを追求し、芸術的にはすばらしい発達をしたのだろうと思った。  ルネッサンスの時代は、アルヴェルティ、レオナルド・ダ・ヴィンチがいた時代でした。 この2人の話も興味をもった。渦の話の中でアルヴェルティはそれまでの経験で本を書い たが、レオナルド・ダ・ヴィンチは、実験で力の作用などを確認したが本を書かなかった。 この2人の違いは本当に興味を持った。渦洗掘も勉強になった。渦が働いているのはだい たい想像がついていたが、2種類の渦が働いていたとは思わなかったのでとてもおもしろ く読めました。  啓蒙の時代になると、ようやく建設技術を教える学校ができました。その先生である ペロネによる記録がすごい量にわたっていることにとても驚きました。また、その内容も とても細かいのです。橋の建設の請負人に対しての要求などを見ると、ペロネは本当に ヌイイ橋の建設に力を入れていたし、いっさいの手抜きも見逃さず、最後までやり遂げ たかったのだと思った。ヌイイ橋の完成を誰よりも心待ちにしていたのは、ペロネ自身 だったのだなと感じました。また、ルイ15世が見物しに来たという支保工の取り外し 作業の祝典の絵を見ると、そこにいた人々の様子が鮮明に目に浮かびます。  産業革命後、鉄道の登場や発達により橋の倒壊が次々におこり、たくさんの橋の建て直 しが行われました。その中でのゲルチュ谷、エルスター谷の橋の建設への反対は本当に ものすごいものだったと思いました。その中で、シューベルトは橋の計画から、静力学的 な理論を考え出したりと、本当にすごい偉業を成し遂げたというのに、シューベルトが あまり評価されなかったというのは、とても残念なことだと思いました。これも、時代の せいとも言えるだろう。  そしてとうとう今の鋼の時代となります。現在よく見かける桁橋の話となっていきます。 この真っすぐな橋を見たときは、私はようやく今の橋がでてきたなと少し安心してしまい ました。本の半分に達しても、まだ桁橋の話がでてこなかったからです。これは、桁橋が 用いられるようになって、まだそんなに長い時間がたっていないことを表しているんだと も感じました。また、橋の形式ではなく、素材により目が向けられてきたのだと思いました。  橋は、その時代の背景によって、橋そのものが持つ意味や、橋に対する人々の考えが 全く違ってくるのだと思いました。また、時代の流れに大きく影響を受けた橋、その橋の 建設にかかわった人々、橋のことに懸命になった人々の話がとても興味深かった。また、 知っている土地名などがあると、どの辺の話をしているかがわかって、橋の建設している 様子が絵を通して生き生きと想像できました。  最後に、わからない用語があったので、一応書いておこうと思います。それは、 「ヒンジ」という用語です。自分で理解できるのは、「支保工」を作らずに橋を橋脚から 建設する際に、橋脚からの2つの張り出し部を結合する時に用いるということだけで、 それは、どのような形をしているのか等、「ヒンジ」が何なのかよくわかりません。  読みにくい文章を読んでくださいまして、本当にありがとうございました。  この本を読んでいて始めに感心したところはアーチについてだ。私は今までどうして わざわざアーチにするのだろう、水平でいいじゃないかと思っていたが、アーチが強度や スパンなどの点から優れているのだと知り、橋にアーチが取り入れられていることが納得 できた。  このアーチをエジプト人は四千年以上も前から知っていたようだが、他の民族よりも はるかにアーチの技術を発展させたのはエトルリア人であり、そのエトルリア人からロー マ人は学んだ。そしてローマ人は構造力学・測量学・コンクリート工学などの様々な土木 工学の分野を発展させた。特にこの時代にコンクリートを作り出したというのは驚くべき ことだ。私はコンクリートはもっと近代になってからの材質だと思っていたからだ。 そしてローマ時代に建設されたコンクリートの橋が今日なお残存しているというのだから、 当時のローマ人の技術レベルの高さは特筆に値する。  読んでいくうちに何度も感じたのは大きな意味で土木工学は自然を考慮している、又は 自然との闘いと言えるかもしれないということだ。せっかく橋を建設しても洪水で橋脚が 倒壊してしまってはなにもならない。橋脚はどの場所に作られるべきか?その材質は? などの諸問題が浮上してくる。そのたびごとに先人たちは知恵を絞り、スパンを大きくす るなど技術を向上してきた。土木工学はスケールがでかい。何せ相手は自然なのだから。  近代に近づくにつれて鉄道の建設が進むと、橋作りも一つの大きな岐路を迎える。すな わち鉄道橋はその上を速いスピードで走る列車のため橋にかかる荷重は以前よりも多く、 倒壊したときの被害も甚大なため、かつてない困難な状況だったようだ。そのため従来の ような職人が長年の経験によって培ってきた勘に頼るという経験主義では通用しなかった。 ここでシューベルトが橋作りに必要とされた理論的計算に対する一つの模範解答例を示し た。こうして理論を重んじる科学へと、橋作りの技術が第一歩を踏みだした。授業中に 中国の大学の先生の話にもあったように現代ではコンピュータを使って理論的な計算を行 っているようだが、昔の橋はそのような計算もなしで橋を作っていたのだから危なっかし い。多くの人命がかかっているのだから。  土木工学は太古より受け継がれたおそらく最古の工学だろう。機械工学や電気工学、 もちろん情報工学よりも伝統がありスケールが大きい土木工学が理解されにくいのは残念 なことである。私は土木工学を学びながらも機会があればそのすばらしさを説いていきた いと思う。 今日、私たちは橋という物をあたりまえの物と見なしているが、しかし、どの技術も同様 に挑戦と挫折の歴史を持っていることを忘れやすいという傾向を持っているということに 改めて私は気付かされた。そして、そこに人間の類いまれなる向上心をまざまざと見せら れた思いがする。  歴史を紐解けば明らかだが、技術は欲求によって築かれる。より能率的に、より安全を 求める。その思いが現在に至って、島から島へと通じ、修繕さえすれば無限といえる時間 を存在する脅威の構造物を生み出すになる。その第一歩が幼い子どもですら思いつくよう な浮き石にあろうとは、あまりにも当たり前すぎる所からの始まりに逆に驚愕を禁じえな かった。それから近世まで物理学という理論を用いることなく、梁に始まり疑似アーチ、 アーチ、籠手型アーチまでの長い開発期は経験とインスピレーション、コンピュータにな い人間の最高のプログラムを駆使することでたどりついた、その道程に技術者としての大 切なものを見た気がする。  その偉大な過程の中に戦争という破壊の側面を見ることができる。ローマ帝国の土木 技術は戦争の為に発展したことは否めない。しかし、、強大な国家が生まれなければ、 非常に困難で人手のかかる橋を架けるという行為は行われなかっただろう。だがしかし、 技術は国家のためでなく、一人一人のために平等にあるはずである。このことから、我々 は技術が諸刃の剣であることを学ばなければならない。つまり、優れたものは得てして とんでもないことに利用できてしまう点にあり、そのことは絶対に忘れてはいけない。  それに付け加えて、現在は技術によって生み出されたもの自体の影響を考えねばならな い時期になっている。つまり、これから先の未来のことを考えなければならない。そう、 環境にどのような影響があるのか、ということがある。例えば、洗掘によって川に生息す る生物にどのような影響を与えるのか、といった今までとは異なったアプローチを必要と する所までやって来ているのである。  私はこの本を読むことで様々な面を学ぶことができたことに喜びを覚える。そして、 それはこれから技術を学ぶ自身にとってよいカンフル剤になってくれるだろう。現在、 技術は身近なものとなってきている。それ自体は非常によいことだと思うが、それによっ て悪用されないことを切実に願っている。また、さらなる技術の発展を橋の文化史に付け 加えられていくのを見てみたいと私は思う。 「勇気と希望」ローザ・パークスのことばを読んで(橋の文化史の他の本も数冊指定しました)  「人種差別」というものに私は今まで一度もあじわったことがなかった。ただ小学校 から高校までの社会の時間に少し触れただけである。南アフリカには”アパルトヘイト” があるとか、アメリカに奴隷としてアフリカから連れてこられたとか、そういうほんとの はじまりのはじまりくらいしか知らない。この本にはこの今までの私の「人種差別」に対 する知識をさらに高めるような奥深いものや、私が実際に、その痛みをあじわったような 感じを受けるものはなかったと思う。しかし、著者であるローザ・パークスさんが世界の 人に伝えたいことがぎっしりつまった1冊だった。私はひたすら平和を望んでいた彼女の 優しさに感動した。  ローザ・パークス女史は、アメリカの歴史を変えた人、そして人権闘争の先駆の道を 開いてくれたアメリカの恩人だと言う。なぜかといえば人種差別が常識的に行われていた 頃、バスの中でも黒人は白人のために席をゆずったり、わざわざ白人のうしろの席に移動 しなければならなかった。ある日、彼女は仕事帰りにバスに乗り黒人席の最前列に座って いた。白人が乗ってくると、バスの運転手は、彼女ら黒人が座っていた席を白人に譲る ように言った。その時、彼女ローザ・パークスは「ノー」と言ったのだ。彼女はどんな思 いでそう言ったのか。そう言えば、逮捕され、痛いめにあわせられるのは目に見えているのに。 人種隔離によって、黒人たちは長年の間ずいぶん悲しい、つらい思いをしてきた。それが 不平等だし、おかしいということは黒人ひとりひとりが知っていたことだろう。しかし、 白人に対する恐れ、世間に対する恐れの中にうもれざるをえなかった。そこから掘り出し てくれたのが彼女の「ノー」という一言であった。黒人たちの「公民権運動」はそこから 歩きはじめ、多くの人々が勇気ある行動をおこしていった。  ローザ・パークスは勇気と希望を持つとても強い人である。また彼女は強い家族や強い 友人にめぐまれていた。私は、彼女が彼らを心から尊敬し、感謝していることに心を打た れ、彼女は心がきれいで優しい人でもあるとわかった。この彼女の強く優しい心を世界の 人がもち、これからの世界が「自由」で「平等」で「平和」になっていかなければなら ない。彼女は私たち若者にメッセージを書いた。未来を若者に託している。これを読み、 最初、何も考えないで今を生きている私には少し荷が重いのではないかと思った。しかし 何も特別なことを期待しているわけではなく、自分を強く大きくすればいいのだと考える ようになった。毎日を大切にすごし、なにかをやりとげようとしたり、人それぞれの道を 理解することである。彼女が言っているように、自分が誰なのか、自分がどこにいるのか、 そしてそれまでどこにいたのか、知ることである。そうすれぱこれからどこへ行くのか わかると。私は時々この道で本当によかったのだろうかと思い悩む。時間をとりもどす ことはできないから、後悔しないように、やりたいことは全てやってしまおうと考えた。 それでいいと思う。 「平和」な世界を一方でねがっているのに、一方で人は仲間はずれをつくりたがっている。 それはなぜなんだろう。そう思った。