授業中に生徒や学生が私語をするのを許すなどというのは、 教育の基本ができていない。 どんなに退屈でも、生徒は先生の授業をがまんして聴くくらいの忍耐力を持つ訓練を すべきだし、学生は自分がその授業を選択して取ったのだから、 その責任においても黙って聴くべきである。 単位が欲しいので、お喋りしながらそのクラスにいるというのは「キタナイ」やり方である。 私が教師だったら、私語する生徒や学生はクラスから放り出すだろう、と思う。 沈黙はまた人に対するいたわりの行動である。 皆が喋ったら、騒音がひどくなる、という配慮のもとに、静寂を保つために 自分は喋らないのである。   (曽野綾子:悲しくて明るい場所)