橋の文化史の感想文 平成11年度

   読書感想文を夏休みの課題にしました。
文科系学生と違い、普段あまり文章を書くことをしていないようです。

これを機会に自分の考えをまとめて文章に書くことに慣れてほしいところです。

                            平成11年7月23日 「橋の文化史」を読んで  私たちが普段何気なく、そして当たり前のように使っている橋にも歴史が あるということを私は今まで少したりとも考えたことがありませんでした。 なぜならそれほど橋が私の身近に、ごく普通に架けられているからです。  「橋」というものが、歴史が始まる以前からすでに存在していたという ことに、私はとても驚きました。確かに今の私の生活している環境から橋と いう橋を全て取り除いてしまったら私の生活は大変不便なものになって しまうでしょう。しかし紀元前から人間は、川などがあったら、あきらめる というのではなく、それを<渡ろう>としていたことに、わたしは思いも 寄らなかったのです。  私は、「橋」は「水」の流れである「川」を渡るだけの目的でしかない ものとばかり思っていました。しかし実際「橋」は例えばローマ人にとって は良い水を求めるために何キロメートルも先にある水源から湧き出る水を 町に引くための水道を建設するといったように「水」を運ぶための「橋」で あったり、その帝国の拡大と維持のために異民族の侵入によって危険に さらされた場所に、いちはやく軍を投入することができるような最短距離の 道路が必要であり、そのために「橋」は道路の一部としてそういった役割を 成し遂げるためのものでもあったようです。 そして何より意外だったのは、古代ローマ人の手工業者や橋梁建設技術者 たちは、橋を数多く建設することによって知識を蓄積していき、そして その結果を通じて得た知識を次の世代の人々に口伝えで伝えていった ということです。 他にも中世では、橋は俗権力の及ばない神聖な逃げ込み場所として指定され ていたり、市民の犯した違反行為に対して裁判を行うために国王や皇帝から いくつもの特権を認められた橋上法廷が開かれていたりと橋は治外法権的な 場所、すなわち避難場所と見なされてきましたが、一方でまた橋は、死刑と して溺死の死罰を科せられたときの死場でもあったそうです。  私はこういった橋の今までの見識とはひと味違った側面を知り、ただただ 感心させられるばかりです。それと同時に川を渡る以外の橋の役割について これまで考えたこともなかった自分に対して反省しなければなりません。 「橋」は私が思っていた以上に重要なものだったのです。  「橋を造ったりそのほかの大規模な構造物を作ったりするためには、純粋 に建設技術そのものの分野において諸条件が整っていると言うことはいう までもないことだが、そのほかに文化的、社会的、経済的、政治的な面に おいても、諸条件が前もって整備されているということが必要であった。」 とこの本の作者はいっています。 商品の流通が支障無く行われるために必要とされる交通網、戦略的観点から そのための交通網の建設、さらにまた、強大な政治的権力が多くの労働力と 物とを一箇所に集めそれらを計画通りに動かすために、そして大規模な 構造物を建設するのに必要な資金を調達するために、そんな建設とはあまり 関係のないと思われていた部分での橋の役割もまた重要なものだったのです。  ところで、この本にはいろいろな「橋」がでてきます。自然物や石、木、 ケーブル、鉄ないし鋼、鉄筋コンクリート、アルミニウムといった材料の 違いでの分離。また、橋の中で最も簡単な形をしている桁橋、木製の小さな 橋の典型例であるトラス橋、塔から斜めに張ったケーブルで桁を吊った斜張橋、 アーチ型の橋、棒状部材を主構造とするラーメン橋、船が通るときに橋桁を 動かして必要な空間を確保する可動橋、といったような建設方法の違いに よる分離。そして架けようとする橋の大きさや規模での分離などです。 なかでも一番私の興味を引いたのは、石で造られた、アーチ型の「橋」です。 橋を造る技術者は川に橋をただ架けるのではなく、橋を無事に架けなおかつ その橋を美しく芸術的な要素を含ませなければならなかったので、さぞかし 大変であったろうと思います。 しかし、ここで忘れてはならないのは、肉体労働を請け負ってきた一般市民 の人たちだと私は思います。重い石を運んだり、危険な仕事をこなして いったりと彼らの功績なしではこんなに立派な石橋は造れなかったと 思います。 出来上がった石橋を目にした人々はきっといいようのない感激で胸がいっぱい であったに違いありません。石本来の性質を十分に生かしたどっしりとした 安定感、人や乗り物などを向こう岸に渡らせるのにふさわしい力強さ。 そんな石橋は人々にとってきっと自慢できる建築物だったのではないでしょうか。  現在の形の橋になったのは多くの先人たちの努力のおかげだと思います。 スパンの広さを広くしていったり、アーチのカーブを緩やかにしていったり、 橋脚の向きや太さを変えていったりとそんな一つ一つの改良によって現在の 丈夫で安心できる橋の建設へとつながっていったのです。 それにしても、初めて橋を造った人は、どのようなことを考えて橋を造って みたのでしょう。また、何をヒントにして橋を造っていったのでしょう。 今みたいに大型の機械や、コンピューターももちろんなかった時代です。 不安や心配事がなかったわけではないと思います。そんな中で、よくも こんなにすばらしい建築物を造ることができたと思います。 現在の社会状況の中で、もし昔と同じ条件で橋を造らなければならなかった としたら、今の私たちにそんなことができるのでしょうか。私はきっと無理 だと思います。きっと昔の人びとが、汗水流して、必死の思いで造った橋 だからこそ後の人々にも感動を与えられる橋ができたのだと思います。   「橋」というものができてから今日まで、かなり多くの年月が経過しています。 そのあいだに「橋」は、より安全に、そしてより頑丈になってきています。「橋」 の発達と共に「橋」は人間だけでなく馬車や機関車、現在においては新幹線 などさらに高技術を要するものが「橋」を渡ることができるようになりました。 今後どんな「橋」が必要とされ、どんな橋が造られていくのか私にはわかり ませんが、これからも、「橋」ならではの威厳と表情を持ち、何十年、何百年 と存在し続ける橋を造っていってもらいたいとおもいます。 この感想文は添付ファイル付き電子メールで送られてきたものです。 提出も早いし、内容もよくまとめられていて、ただただ感心した。

私は普段、小説はよく読みますが、このような(教科書のような)本を読む のは初めてでした。でも、その割にはこの本は読みやすく、また、興味をそそられる ものでした。 私は小さいころ、テレビなどで古い(石で作られた)橋を見て、なんでこんな面白い形 をしているのだろうと思った事があります。その時の橋の形が、ちょうど半円アーチ型 のものだったのですが、普段見慣れている橋とは違い、どっしりとした風格で、 物凄い存在感を感じました。 現在の橋をみると、その大部分がスマートな形をしていて、その一つ一つに特に目立った 特徴があるわけでもないので、普段橋を渡っていても、自分が橋を渡っているなどと 意識した事もなく、ありふれた、普通の事としてしか思っていませんでした。でも、 昔の人にとってみれば、橋を一つかける事は物凄く大変な事だったという事が、 この本を読んでよく理解できました。 そして、何よりも勉強になった事は、普段私たちが橋というと、橋を渡る事しか考えて いないので、注意深く見たとしても、目にみえている部分しか橋と思ったことがないと いっても過言ではないくらいだと思いますが、実は、橋において一番重要なのは、 目には見えていない基礎の部分だという事が分かった事です。それに、川にかけた橋なら、 川の中に入っている部分こそが、水の抵抗を受け、また、桁の形によってその周りの 河床まで影響を与えるという事も分かりました。これらは、言われてみれば理解でき ますが、この事に気がつくには、実際に橋を作り、苦労を重ねないと気付きにくい事 ではないかと思います。 驚いた事もあるのですが、それは、今までは芸術家だとしか思っていなかった人も橋を 作っていたという事です。その一人がレオナルド・ダ・ヴィンチですが、彼は、河床の 形成のされ方を研究し、その事から乱流の問題にぶつかり、実験をしてそのほとんどを 解決しているという事に大変驚きました。しかも彼は実験の際に、自分で小さな人工の 水路を作り、それに水を流してそれを観察するという、大変手の込んだ事をしています。 これは、橋を作ることを専門としている者でもそれまでそのようなことはやっていない と思います。このことからは、彼がとても研究熱心だということもわかりますが、 もし彼がこの研究の結果を発表していたら、今日の橋はもっと発展していたかもしれない と思いました。 でも、やっぱり驚くのは、石で作ったアーチ型の橋です。あれだけのものを作るには、 ものすごくたくさんの技術を必要とするはずです。しかもそれが作られたのは、まだ車 も走っていないような時代です。あれだけの石を運ぶのにも大変な努力がいるし、 その石を、あれだけ正確に切る技術、そしてそれを正確に積み上げていく技術など、 とてもすごいと思います。それに、あれだけのものを作るためには、長い期間が必要と なります。 もし、自分があれだけのものを作る仕事を与えられたら、最後までやりとおす自信は、 はっきり言ってほとんど有りません。でも、もしできるのだったらあのような橋を自分 でも作ってみたいとは思います。 また、あのままでは、大きなスパンの橋は作れない事から、アーチの形をかごの取っ手 のようにするなど、そのような事を考え出した人は、本当にすごいと思いました。 その他にも、木で作った橋や、コンクリートで作った橋など近代的な橋についても かかれてはいましたが、私としては、今一つ興味がわきませんでした。確かに、 現代の橋の方が、低コストで、短期間に作れ、しかも技術面でも発達していますが、 私としては、石のアーチを使った橋や建造物の方が、はるかに興味があったからです。 確かに、コンクリートなどで作る橋よりもコストが高く、しかも作るのも大変ですが、 あの、きれいなアーチと、ものすごい存在感は十分にそれだけの価値はあると私は 思います。 この感想文も電子メールで送られてきたものです。

橋の文化史を読んで最も印象に残っているのはP255の木橋という部分である。 なぜなら、ここにはこんなことが書いてある。「ジュリアス・シ−ザ−は紀元前55年 に軍事目的でライン川を渡らなければならなくなったとき、コブレンツと アンデルナッハとの間にそのような木橋を作らせた。このシ−ザ−の木橋は全長が 400メ−トルあった。材木の引き渡しから橋が完成するまで、シ−ザ−の <ガリア戦記>によるとわずか10日間しかかからなかったという」 これは本当の話だろうか。紀元前に400メ−トルの橋を10日で作るなんて信じ難い。 よほどの人数で、最も効率の良いやり方で作ったのだろう、とにかくすごいと思った。 どのように設計し、指示したか、まったく想像できない。今の時代なら作れるかもしれ ない、ただの木橋という条件だけなら。紀元前にクレ−ンなどがあるわけないし、 どのように木材を運んだのだろうか、かなりの怪力の持ち主がたくさんいたのだろう、 おそるべしである。とにかく、この部分を読んだときは頭の中でいろいろと考えさせ られた。 最後の「可動橋」というのを読んで思い出したが、東京に<勝鬨橋>という可動橋が あると何かの本に書いてあった。船が通るときには橋の上の信号が赤になり、車を止め、 それと同時に橋が真ん中から2つに割れてハの字型に刑状を変えるというのだ。 一度見てみたかったが、もうその橋は動かないよう閉鎖されたそうである。とても残念 である、世界のどこかにまだ勝鬨橋のような橋が残っていたらいつか必ず見に行きたい。 私は橋やダムなどの建設に携わりたくて建設環境工学科を選んだ。微分積分学の一戸先生 がおっしゃっていたが、岩手大学卒で橋の建設における専売特許を持っている人がいる ということである。その人は外国の橋の建設にも関わっており各国を飛び回っていて、 年収が数億円というのである。お金につられたわけではないが、これを聞いて私は俄然 やる気が出た。先輩にこんなにすごい人がいるのである、自分にも可能性がないわけ ではない。頑張ってみる価値は十分ある、なので先ずは構造力学の勉強を頑張りたい と思う。 この橋の文化史という本は絵がたくさんあり、飽きずに読むことができた、少し大変 ではありましたが。 大昔の橋、外国の橋、ア−チの進歩など興味を引かれる部分が多くあり、大変勉強に なった。 それに、訳者に「宮本裕」とあり、これを発見したときにはかなり感動した。 物理学の矢作先生が宮本先生のことを「宮本大先生」とおっしゃっていた理由が少し 分かった気がする。 『先生、橋の文化史は読むのは大変でしたが面白かったです。』 このゴマすり文章も電子メールで送られてきたものです。

初めて学科の内容に関する本を授業とは別に読んだ。自分の興味のある分野 なだけに、なかなかおもしろかった。 橋が人々の生活を支えていることを改めて知った。中でも古代ローマの水道 橋には驚いたことが多かった。例えば、高さ二九メートルもある橋が、表面が 荒削りのままの花崗岩の切石の積み上げだけで出来ていたり、さらに大きく、 高さ四九メートル、長さ二七三メートルもの水道橋があり、換気や清掃、修理 の事まで考慮した排水設備まであるという。現在でも使われているものもある そうだ。アーチの部分を縁取った石の積み方も美しいものだが、これも力学的 に考えられたものという。もちろん水道橋の存在は知っていたが、構造を知る 事によって、当時の技術の高さには感動する。 水道橋とはある種特殊な部類かもしれない。橋の発展には人や車が通る橋も 見ていかなければならないだろう。こちらも、ただ石を架けるだけの簡単なも のから、自動車や鉄道などが渡る事の出来る高度な橋が求められる様になるな ど、やはり、人々の暮らしと密接に関わり支えてきたのと同時に、技術も発展 していったのだろう。 私の地元旭川は、大小約一七〇もの川が流れていて、川の街といわれる。そ の川にはまた、約七七七本もの橋が架けられており、市民にとっても身近な存 在である。現在でも建設、計画中の橋もあるが、その中でも、旭川駅周辺開発 事業の中に位置づけられている橋に、個人的にも注目している。駅の南側には 川が流れており、川の南北は完全に分断されている。そこで駅を高架にし、下 に道路を通し、その先に橋を架け、駅南北の行き来を可能にすることが事業の 一つである。こうする事によって、人や車、市街地形成を大きく左右させると いわれている。 この例は一つの街の中での事だが、ほかに本州四国連絡橋や将来建設計画の あがっている本州北海道連絡橋など土木事業全般についてそのようなことがい えるのだろう。そんなことに携われることはとても感動的な事のように思っ た。 この感想文も電子メールで送られてきたものです。

日頃、私は橋を渡るとき、別に橋の形を意識していない。これを考えれば当 然のことだが、橋の歴史については考えたこともなかった。しかし良く考えて みれば、橋が最初から今のような形をしていたわけはなく、橋に歴史があるの も当たり前のことだ。 この本にあったのはほとんどがヨーロッパの橋だったが、日本の歴史と重ね て考えてみると、技術の進歩がものすごく早かったようだ。古代人が石を架け るところから始まって、いろいろな人に手を加えられて今の形になってきたよ うだが、橋を造ってきた人たちの発想力はものすごいと思う。前に造った人の データはあるにしても、そこで手を打たず、より強く、よりコストのかからな い橋を造ろうという強い意気込みがあったのだろう。 昔の橋はだいたいアーチを基本として発展してきたようだが、アーチの技 術にしても互いの力で互いを支えあうというのは、気づきそうでなかなか気づ かないことではないだろうか。日本の昔の橋も、木製ではあるもののアーチに なっている印象がある。それを考えると日本の技術も実はけっこう進んでいた のだろうか。 最近造られる大きな橋などには、新しい技術がどんどんとりいえられ、より 強く造られるようになってきているし、橋の役割自体、川や谷を渡るものか ら、海を渡るためのものにもなっている。それだけではなく、新幹線も陸では あるが橋の上を通っているようなものだ。 これからもどんどん技術が進歩していって、今の橋がたいしたこと無いように 見える日も来るのだろうが、そこには今まで橋を造ってきた人や、これから 造っていく人たちの発想が多分に生きていると思う。 橋がまだ無いところはもちろん、今ある所でも、もっとそこの地形や気候にあった 橋を造るためには今までの技術に加えて独自の発想が必要だ。これから建設をやる にしても何にしても先人たちに負けない発想力を持っていたい。 この感想文も電子メールで送られてきたものです。

橋の文化史を読んで印象に残ったものは、鉄道の発達による橋の建設である。橋の 上を汽車が走るのも車が走るのも同じだと考えていたが、実際は、重量、速さなど 全く性質の違うものであった。当時の鉄道の利用目的といえば石炭等の工業材料の 運搬であり、相当な重量がかかったらしい。そのため、それに耐えうる橋をつくら なくてはならなかった。また、汽車は小回りのきくものではなく、ほぼ直線でない と走れないという事で、また起伏の激しい所では高さをそろえなくてはいけないと いう事もあった。そのため、鉄道建設は非常に大変だったらしい。車が走るのと同 じだろうと思っていた私にとって、これは驚いた事であった。 昔の橋を見てみると、ローマ時代に水道橋というのが作られたがこれは私がとても 興味がある橋で、機能だけでなく芸術性にも富んでいる。当時から橋の技術はすご かったんだと思った。この頃から橋をつくる際に安全にわたれればよいというだけ でなく、外見のよさ、つまり芸術性が出てきたらしい。この橋は1度見てみたいと思 うのである。 また、この橋の文化史で興味深かったのは、レーゲンスブルグの橋である。中世こ の頃に作られた橋は半円型アーチという方式らしいが、十分な橋脚を作る事ができ なかったらしい。そこで、人工の島を作りそこに橋脚を作ったがその島が川の流れ を3分の1にしてしまい人工の島の上流で流れが1時停止し逆流現象が起こるという問 題が生じてしまった。それによってアーチの下で川の流れが速くなってしまった が、それを利用し水車をまわしたという。この考え方の転換が非常に面白かった。 橋を作るにはさまざまな条件が必要でただ頑丈に作るだけでなくそこの自然条件に あわせたりしなくてはいけないがこの場合はうまく利用していると思った。 ここで、橋といって思い付くのは身近なもので太田橋がある。雫石川にかかってい るもので、学校に行くときにいつも通ってくる橋である。毎日通ってくるのであま り気にしていなかったが良く考えてみるととても大きな橋で、作るのには大変な労 働力が必要だった事が伺われる。この橋の文化史を読んで、今までの歴史を知った ので太田橋の規模の大きさが改めて実感できた所である。また身近な橋に、盛南大 橋がある。この橋は今建設中で通るときに作業の様子を見ているが、やはり時間が かかっている事からも分かるとおり、とても大変なんだなと思った。 この本を読んだ事によって橋についてのいろいろな知識を得たが、それによって橋 に対する興味が湧いてきた。この興味をこれからの勉強に役立てていきたいと思 う。 この感想文も電子メールで送られてきたものです。

この本を読んで橋の歴史の古さと歴史全般への影響に驚きました。普段なにげなく渡っ ている橋にも感嘆の意が湧いてきました。 今、思えば橋というものがなければなんて不便でありましょうか。川を濡れて渡る、 もしくは、舟を漕いで渡らなければなりません。橋はもちろんずっと昔からあったと いうことはわかりますが、本に書いているぐらい発達しているとは思いませんでした。 まぁ現代に比べればそんなに凄くはないのかもしれませんが。最初はただ一つの岩を かけるところから始まり、次に疑似アーチに、そしてアーチにたどり着ました。 より広い幅に橋をかけるためにこのような発展を遂げてきて今日にいたっているのです。 昔の人の努力が今の橋の技術の基でありますから昔の人に多いに感謝すると共に敬意を はらいたいと思います。昔の人には現代にあるような道具や機械はないですから いちいち自分で計算したりしなければならなくかなりの苦労だったと思います。 橋梁建設が非常に発達したという背景には、政治的理由とともに軍事的・戦略的理出が あるとは思いませんでした。ですが、その後を涜んでみたら「なるほどなぁ」と思いまし た。橋によって目的地までの最短距離を結ぶことができ、そうすれば素早く敵地に侵人す ることができ敵を倒すことできます。 ローマ人はとても優秀です。いも早くその事に気が付きそれを実行に移したのですから、 それにその技術を発展させる術と努力とを持っているのです。私も見習いたいです。 最後になりまして、この本を読んでいてはっきり言いまして、わからない言葉が多くて 苫労しました。いきなり専門的な言葉が出てくるとたちまち混乱してしまいそこで立ち止 まつてしまい読むのにとても時間がかかってしまいました。ですが、この本を読んで橋の ことだけではなく色々な面で勉強になり読んで良かったです。 どの言葉がわからなかったのか、具体的に書いてもらえると指導ができたのに。 土木用語大辞典も発刊され図書館に置いてあります。

この本には、橋梁建設のこと、その歴史のこと、またはそれ以外のこととさまざまな ことが書かれていたが、いくつか気に留める点があった。 まず、中立軸などというところがそうだった。おそらく、ここだけではないと思うのだ けれども、最初の方で、はっきり書いてあった「建設技術者、物理学者、数学者が この疑問に対して研究を重ね、〜そのようになるまでには数百年を要した。」 というところである。(今では、たぶん、簡単に求められるであろう、こういうことが 数百年を要して今この様にして求められるということは、なんとすごいことだろう) と実感したと同時に、(ここに書いてあるとおり、ガリレオ・ガリレイやライプニッツ、 ニュートンなど、多くの人たち、いかも、複数の学問の知恵を付け加えながら できているということは、少しオーバーにいえば、何人もの屍を越えて、今にある ということではないか。これはこの人たちのためにも、自分のためにも勉強しなくては ならないか)と勉強意欲に火をつける結果ともなった。 第二に、石から鋼、鋼からコンクリートと材料の変化に注目した。このことに対しては 「すでに、1850年に、中空になったなかを列車が通るという箱形の桁をもつ ブリタニア橋(1846〜1850)を建設している。〜そのとき以来、石で作られた 橋にかわって鋼製の橋が建設されるようになったのである」と 「1971〜この事実は、明らかに20世紀、もしくは少なくともその後半期の橋梁建設 の分野においては、コンクリートが最も重要な材料であった、すなわちいいかえれば、 その時代はコンクリートの時代であったということを如実に物語っているのである」 という部分などから、1850年、つり、19世紀半ばから鋼、20世紀半ば〜 後半あたりからコンクリートの時代だと推測される。また、石から鋼にかわった理由は、 「そのような巨大な大きさをもつ鋼製の橋に比べると、石製の橋が競争にならないことは いうまでもないことであろう」などというところから巨大なスパンに耐えられる強固な 耐久力にあるだろう。また、鋼からコンクリートにかわった理由は、鋼の耐久性+ 材料の安さにあるということが、9章の全体的な文脈から判断できる。 第三に、橋梁建設の歴史的背景についてが印象に残った。それについては8章の ”労働時間と賃金”と”事故と貧困”、”政治”を参考にした。金の単位については よく分からなかったのだが、かなりの賃金の差や悲惨な事故の多さやそれに対する 今で言う保険金の支給される条件の悪さ、そして、シューベルト教授に対する ザクセン政府による仕打ちなどが読んでいる間にひしひしと伝わってきたのと同時に、 時代に対する怒りもこみあげてきた。 最後に、この本の総評は、橋梁建設の歴史だけでなく、その調べた橋自身の歴史も 書いてあるところに頭が下がった。私自身、構造力学に対する意欲も湧いた。 この調子で、授業もノリにノッていきたいと思う。 この感想文は手書きだったので、私が入力しました。 内容は自分の言葉でよくまとめられている。