坊っちゃん
九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして商買(しょうばい)
をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随意(ずいい)に使うがいい、
その代りあとは構わないと云った。
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おれは六百円の使用法について寝ながら考えた。商買をしたって面倒(めんど)
くさくって旨(うま)く出来るものじゃなし、ことに六百円の金で商買らしい商買が
やれる訳でもなかろう。よしやれるとしても、今のようじゃ人の前へ出て教育を受けた
と威張れないからつまり損になるばかりだ。資本などはどうでもいいから、
これを学資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば
三年間は勉強が出来る。三年間一生懸命にやれば何か出来る。
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幸い物理学校の前を通り掛(かか)ったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと
思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。
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卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出掛けて行った
ら、四国辺のある中学校で数学の教師が入る。月給は四十円だが、行ってはどうだと
いう相談である。
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その後ある人の周旋(しゅうせん)で街鉄(がいてつ)の技手になった。月給は
二十五円で、家賃は六円だ。
(明治三十九年四月)