西安城
中国西安城
唐の滅亡とともに、長安城は壊滅し、五代以後修復され小城郭になった。
明代になり、戦略要地として大幅な増修が加えられた。
西安城の城壁規模は、東・西壁はともに二・六キロで、北壁三・三キロ、南壁三・四キロで、
城周十一・九キロの横長の方形である。
城高は十二メートル、基厚は十五〜十八メートル、上幅は十二〜十四メートルあり、
城壁の内外面および上面は磚で被われた磚城である。
城壁の上へ登るための馬道と呼ばれる斜道が城壁内側に計四ケ所取り付けられており、
現在でも利用することができる。
城門は四面に各一門ずつの四門が開かれている。
城門上の構造物が城楼(正楼)、その外側に甕城(おうじょう)をめぐらせ、
甕城上の建造物が箭楼(せんろう)である。
甕城のさらに外側を城壁で囲み込んでいるのが護城である。
護城の上の建造物を樵楼*(しょうろう)(欠楼・閘楼)と言う。
東・西・南・北の四城門ともに同じ三重構造で、きわめて強固な防護措置が施されている。
現在は、一番外側の護城と樵楼*は撤去されて存在しない。
現在は、北・南壁に各二ヶ所、東・西壁に各一ヶ所が切り開かれ、
城内と城外との交通の便が図られている。
これらの箇所では城壁の断面が露呈し、土をつき固めた版築土城の部分と
その表面を被う磚の構造がはっきりと見分けることができる。
城郭の四隅には、それぞれ角台と角楼が設けられているが、
西南隅だけは方形ではなく、円形構造になっている。
*樵(ごんべん)
西安城 西安城
愛宕元:中国の城郭都市 中公新書1014