則天武后とその時代展

則天武后(624-705)は中国唐代の女帝である。中国史上ただ一人の女帝。

しかし、この展示は、唐だけでなく、それ以前の北魏や北周(?)のものもあった。
西安ですでに見た陝西省博物館の展示品がいくつかあった。
しかも、陝西省博物館の収蔵品の大部分が移転された陝西省歴史博物館の
展示物も、今回の上野での武后展に展示されてあった。

だから、私としてはかなりの展示物は2度目であるはずだが、すっかり記憶はない。
改めて感心したのだった。

だんだん知識も増えたので、改めて西安に行って見学したいと思った。

瑪瑙(めのう)を削出して作った杯はみごとであった。

白大理石像の表面には色素が少し残っているものもあった。
つまり、これらの像は当初表面に彩色や金箔を施したのである。
今でも、中国や韓国の仏像は極彩色で、日本のものは無地である。

臨潼県新豊の慶山寺の遺跡から発掘された舎利が展示されてあった。
ここで、舎利とは白い水晶粒(米粒大)であった。

章懐(しょうかい)太子は高宗と武則天(武后)の第2子で、学問にすぐれた。
684年、武后から死を賜った。

懿徳(いとく)太子は中宗の長男で、701年に、武后から死を賜った。

永泰(えいたい)公主は中宗の第7女で、700年郡主に封ぜられ武延基に嫁した。
翌年、兄や夫とともに17歳で武后から死を賜った。