キルギスタン〜新疆ウイグル自治区
文化交流及び親善訪問の旅を終えて

 7月15日より24日まで、シルクロード倶楽 部主催によるキルギスタン、新疆ウイグル自治区、 文化交流と親善訪問の旅が実施されました。

 15日に成田を出発した一行9人は、ウルムチ 空港で留学生やその家族たちの熱烈な歓迎を受け たあと、ウルムチで1泊して翌日キルギスタンの ビシュケクに出発。キルギスタンでの滞在地、イ シクル湖畔のサナトリウムにて、境大学氏の骨折 りで実施の運びとなった津軽三味線グループのコ ンサートを鑑賞しました。

 そして雄大なキルギスンの草原を横断して中国 に再入国。カシュガルでの滞在のあとウルムチヘ 飛び、トルファンの砂浴治療を見学しました。そ のあと、21日には新疆ムカーム芸術団を訪問、 日本公演を要請し、この旅行の公式行事の一つで ある、就学困難児童への奨学金(オアシス基金) と、留学生の論文集「現代科学技術及び先端科学 研究」の贈呈式を行いました。

 一行は思わぬハプニングに巻き込まれながらも、 目的としていた現地の人々との交流や公式行事の 任務を果たし、24日夕刻、無事成田に帰国しま した。

 今日は、この旅行に参加されたシルクロード倶 楽部会員のOMさん、OWさん、SNさん、STさん、 4人の方々においでいただき、旅先でのできごとや印象 などを語っていただきました。

◎ 今日はお忙しいところ、お集まりいただき、 ありがとうございました。それでは、早速ですけ ど、順を追って、いろいろ旅の面白かった話など を聞かせていただきたいんですけど。 SN いや一、最初から事件がありましてね。 OM 普通の出国手続に要する時間を考えて、ご 飯を食べたりお土産を見たりしていたんですよ。 そしたら……。 SN 普通だと通関手続は1時間もかからな いでしょう。それが開いているゲートが少なくて 列が長くできていて、通関するのに1時間以上か かった。 ◎ じゃあ、ぎりぎりで。 OM いや、時間には間に合わなかった。(笑) ◎ それでどうなったんですか。 白石 飛行機が待っていてくれたんですよ。搭乗 人員の数がそろわないもんだから、「上海行きの 人はいませんか一」って呼びにきた。 OM それで走らされて走らされて。 SN いちばん遠いんですよ。 JALが止ま つているのは。 ◎ 団体でパーッと走るわけですか。 OW みんな異様な感じで見ていましたね(笑) ◎ 上海からウルムチに飛ばれたんですよね。 SN だいたい予定どおりにウルムチには着 きました。現地時間で7時半。 ◎ どういうお迎えですか。 ST あんなにいるとは想像していませんで したね。 OW すごかったですね。 OM 25人ぐらいいましたかね、留学生の人た ちが。 ST みんな花束を抱えている。 OM お土産も持っている。 ST だれがどこにいるか分からないんです よ。みんながわ一っと飛びかかってきて。 SN 手配をイリヤル夫妻に頼んでいたんで すよ。留学生たちを呼んで、夜にバーティーをし ましょうと。彼らはうまくやってくれました。 OM パーティーばかりやってましたね。(笑) SN 我々の活動も3年たって、厚みが出て きたんでしょうね。 OM パーティーにもみなさん、たくさん来てく れましたね。 ◎ それで次の日ビシュケクにいらつしゃるんで すね。飛行機で]時間。 OM もっと乗っていたような感じがしましたね。 SN イシクル潮には7時に着きました。サ ナトリウム全体はちやんとしていましたね。 OM 隔離された世界ですね。ゲートがあって警 備員がいてドーベルマンが3頭いた。 ◎ 怖いですね。 OM 怖いですよ。(笑) SN 皇居ぐら いの大きさはあるん じゃないですか。隔 離された世界で、あれ を利用できる人たちに とっては別天地でし ようね。 ◎ 三味線の演奏会はそのサナトリム であったんですか。 OM そこの音楽堂というか講堂というか。 ◎ お客さんはどのぐらい入っていましたか。 SN 6割ぐらいかな。 OW いましたよ。半分以上。 OM リゾート客とか健康診断で来た人とか。ロ シア人が多かったですかね。家族づれもいた。 それで、津軽三味線の演奏会はいかがでしたか。 ST 演奏会が始まったら、雷が落ちたとか で停電しちやったんですよ。 SN 彼らはビシュケクで2回演奏してイシ クル湖で1回、帰り道にアルマータで演奏会をや ったんですよ。我々はイシクル湖の演奏会を聞き にいったわけです。 ST 音楽始まったら、みんなこういう風に 身を乗り出して。 OW 後ろから見たら、頭がこんな風にずっと 並んでいるんですよ。 OM みんな熱心に聞いていましたね。 ◎ 演奏会のあいだ、真っ暗だったんですか。 OM 自家発電の投光器みたいので照してました。 ムードが出てよかったですよ。(笑) それで、ここでSTさんが踊ったんですよ。 ST まあ、見てたんですか? SN 見てましたよ。 OM 場つなぎにキルギスの音楽をやったんです よ、2人ぐらいバンドが出て。 ST そしたら太ったおばさまが後ろのほう で踊り出したんで。 OM いや一、勇気ある行動です。(笑) ST 踊ってるときは楽しかったですよ。 ○ そのときのことは、そのおばさんも忘れない でしようね。「あのとき、日本人の女の人と踊っ たんだ」って。 SN 翌日は地質庁長官の奥さんに招待され て、クンゲイ山脈をちょっと登っていったところ にある彼女の実家に行きました。イシクル湖が見 渡せるところで。 OM 羊を一匹まるごと御馳走になりました。 OW だれが何を食べてとか、年齢順にとか、 食べる順序があるんですよ。 SN 若い人が頭を食べるんです。いちばん 年齢の若い人が頭を切って。 OM 肉はいちばん偉い人が取り分けてやる。 SN うまかったですよ。 ◎ そうでしょうね。味付けは? OW  塩味ですね。 ◎ 野菜の料理はありませんでしたか。 OM 葉っぱものは食べないらしいんですよ。 「草は羊が食べるものだ」って。(笑) OW 戦前の、日本の山の生活をしているとこ ろに、ポッと行った感じですね。鶏がコケコッコ ーと嗚いて、あざみの花が咲いていて、トイレが 別にあって。片方を見渡すと、きれいなイシクル 湖が見える。 ST その日もイシクル湖に泊り、次の朝はゲ ートの外にあるチャイハナに、ナンとお肉を頼ん でおいて、朝はそこでいただいて、お昼の分を持 って出かけた。 OM 3時起床ですよ。(笑)こんなに朝早くか ら用意できてるのかなと思ったんですけど、ちや んとやってくれましたね。 ST 雨がずっと降ってました。 OM 朝6時ごろですかね、雨があがったのは。 マイクロバス2台に分乗して……。4時にそのパ オを出て、イシクル湖の端っこあたりで空が明る くなった。そして、朝8時ごろ、ナリンという所 の手前の高原で、遊牧民のパオを訪問して馬乳酒 をごちそうになった。 SN みんなまだ寝ていたもんね。 ◎ その高原はどのぐらいの高さなんですか。 SN 海抜3000メートルはあったかな。 OM 「つま先上がり」というけれど「前輪上が り」で……。上がっているという感じはしないん ですよ。それで、その高原で写真を撮っていたら、 女の子が来てしゃべっているんですよ。キルギス 語だからわからないなと思ったら英語だった。( 笑)先入観があったからわからなかった。 SN さすかにシルクロードですよ。こんな 所でも英語をしゃべる人がいるんだから。 OM また同じようなところをず―っと走って。 ST トマトときゅうりをたくさん買ってい て、それを食べて。 SN 国境の手前約50キ口のところに、旧 ソ連軍のゲートがありまして、そのゲートで止め られてチェックを受けたんですよ。内務省と地質 庁からレターをもらっていった。そしたら、私た ちの名前は書いてあったけど運転手の名前が書い ていない。 ST あそこの手前に広い道路があったんで すよ。あそこは、アリムさんの話だと、戦争のと きには滑走路になるらしいんです。 SN まだ、旧ソ連軍の兵士が警備している んですよ。来年からはキルギス人が守るみたいで すが。それが、運転手の名前が書いてないと言っ て……。 OM 税関に行ったら、税関の建物の前にゲート があって、税関職員が昼飯中だということで、そ こでも待だされた。(笑) OW あれも長かったですね。 OM 2時ごろから3時まで。 ◎ みなさんはそのあいだ、どこにいらしたんで すか。 ST 車の中。 ○ 大変でしたね。 ST いえ、あっち見たりこっち見たり。 OM あのゲートにいた口シア兵は鉄砲を持って いましたね。ゲートを開けて税関の建物に行くと、 税関に旅館がついているって言うんで驚きました よ。午前中はキルギスから中国へ、午後は中国か らキルギスヘと決まっている。「我々は午後にな ったから一泊しなけりやならない」って、アリム さんにおどかされた。「冗談冗談」って言ってま したけど。(笑) SN それでぼくらの乗っていた車の運転手 は行かせてもらえなくて、そこから7キロ、キル ギスと中国のあいだの緩衝地帯は、あらためて運 転手を雇っていくことになった。 5時には国境が 閉まってしまうんですよ。それで「急げ!」と。 ところが、中国の国境手前、5、6メートルのと ころで車が止まってしまった。 ST それが海抜の高いところだから、突風 が吹いているんですよ。 OW 呼吸困難と寒いのと風とでね。 ST 必死になっているときは馬鹿力が出る んですね。荷物を持って、こんなかっこうで必死 になって走っていく。(笑) ◎ ご苦労さまでした。やっと中国に入国できま したね。(笑) ST それからがまた大変だったんですよ。 OW 喜んだのも束の間。 SN 入管に行く前に、国境警備隊がいるわ けですよ。待っていたバスに乗って1キロぐらい 走ったら、人民軍が待っている。 OM そして、にこにこしながら荷物チェック。 ST 私たちは建物に連れていかれて身体検 査をされました。バスの中にも入りましたね。 OW 5人ぐらい入ったでしょうかね。あそこ を越えるときのあの感じ。 OM ほっとしましたよね。 ST でも気分の悪さは……。だれかが「麻薬 の検査をしたんじゃないか」って言いましたけど。 SN 人民軍には観光客の荷物を開けて調べ る権限はないと、中国のガイドさんが言ってまし たよ。 OM 国境警備隊のところから車で100キ口ぐ らい走りましたかね。 入管と税関のところまで、 何にもない岩山を。 ST さっきまでは「天国のような景色だ」 と表現できたのに。「天国と地獄ですよ」ってア リムさんが言ってましたよ。 ◎ これでやっと本当に中国に入りましたね。 ST それからも大変だったんですよ。KちゃんとF君 が、その日の10時50分の飛行機で、カシュガ ルからウルムチに帰ることになっていたんですよ。 SN ひどい山道でね。 OM バスの底の砂利がはねあがって、機関銃み たいな音を立てて車の底に当たる。 SN 国境からカシュガル空港までは1S0 キ口あるわけですよ。それをもうスピードで走っ て、カシュガルに着いたら10時50分。 ◎ 間に合ったんですか。 ST もう来ないだろうというので、5分前 にキャンセル待ちの人に売っちゃった。 運転手さんもがっかりしてましたよ。一生懸命に 走ってくれたんですけどね。それで結局私だちと 同じ便で帰ることになったんですよ。 ◎ その日はカシュガルに泊まられたんですよね。 SN 翌日のお昼にカシュガルの舞踊団の人 と会って、歌とか踊りを見せてくれた。 OM 思えば強行軍でしたね。(笑) ◎ その日にウルムチに行かれたんですね。 OM でも、あの日は昼間は時間があったからバ ザールに行って金細工を買ったりしましたよ。し かしまあキルギスは、入るときと出るときが本当 に大変でしたよ。入口と出口はひどかったけど、 中は良かったですね。 ST あれは、お国の経済が安定していない からだと思います。 OM 役人の給料が低いんでしょうね。 ウルムチからトルファンにも行かれましたよ 白石 高速道路で2時間ですよ。砂漠の真ん中を ずっと一直線。 ◎ 砂漠ですから、立ち退きの間題なんかないで しょうしね。 ST 砂浴治療を見て欲しいと言われて行っ たんですけど。 OM トルファンに行ったおかげで、火焔山も見 たし、カレーズもぶどう畑も見たし。 ST トルファンから帰ってすぐ、教育委員会 に行ったんですよ。 OW 大変でしたよ。早業で着替えて行くんです から。 OM それからまたパーティー。(笑) SN ウルムチでの公式行事は、留学生の論文集 とオアシス基金の奨学金の贈呈式をやること だったんです。今までに300人ぐらいの留学生 が日本に来て、博士号を取っている人が40 人ちかくになったんですね。それで去年の10月 19日に学会をつくって、それを記念して論文集を 作ろうということになり、シルクロードが助成 したんです。今回、その論文集を20部持って いったんです。100数冊は送りましたけど。 OM その重たいのを持って、あの国境のところ を走ったんですよね。(笑) SN その論文集とオアシス基金の奨学金の 贈呈式を、教育委員会のほうでやったんですよ。 教育委員会から招聘状をもらっていましてね。 OM 新疆テレビと2社取材に来てましたね。 ◎ 大役を終えられて日本に帰っていらした。そ れから問題は起こりませんでしたか。 OM いや一、日本は道路がいい。(笑) ◎ 今回の旅行で、いちばんみなさんの印象に残 っていることは何でしょうか。「これは絶対に忘 れないだろうな」というのは。 OM 私はキルギスタンの山越えですかね。走っ たり待たされたり……。鉄砲なんか見たことない んですから。 SN 自動小銃がピカピカで。これ以上はな いだろうというぐらい磨いていましたからね。よ っぽど暇なんでしょうね。(笑) OM 軍服もきれいでしたね。 ST ビシュケクのバザールを見ましたけど、 すごいエネルギッシュでした。ウイグルはカシュ ガルが面白かったですね。職人街の風景がすごく。 SN カシュガルの職人街はよかった。あの エィティガル・モスクのそばの。 日本の50年前 の手作りの世界ですね。鍋や釜をたたいて作る。 楽器なんかもたくさん吊るしてあって。でも、1 0月1日にカシュガルに鉄道が入るでしょう。そ したら、もうあの職人街はつぶれると思うんです よ。工業製品の安いのが内地から入ってきたら。 そしたら、つまらなくなるでしょうね。 OW その前に行ってよかったですね。 OM トルファンに行く途中にも、宿場町みたい なのが残っていたじゃないですか。高速道路がで きたから廃墟みたいになっていたけど。 ST 私がいちばん面白かったのは、普通の 団体旅行で行ったらとても味わえないだろうなと 思ったんですけど、工ィティガル・モスクの前の チャイハナに朝早く行って、焼き立てのナンをい ただいたこと。こんなの食べられるかしらと思っ たぐらい大きかったのに、すぐ食べられました。 OW みんなで車座になって、おしゃべりしな がら食べるんですよ。 ST チャドル(アラブ地域や中央アジアの イスラム教徒の女性が着る、全身を覆うようにな つている衣服)をかぶっている人を、初めて見ま した。 SN 早起きは三文の得。(笑) ◎ チャドルをかぶっている人を見てどう思われ ました? ST 何と表現したらい いんでしょうか。 時代が昔に戻ったんじゃない かという感じ。砂漠の真ん中 じゃなく、街の真ん中でです からね。暑いさなかにかぶっ ているんですよ。 ◎ タイムスリツプしたみた いな。 ST 夢に見ていた工ィ ティガル寺院の前で、そのよ うなかっこうの女の人を見た というのが、今回の私の旅で の強烈な印象でしたね。それ と、あそこの黄色いいちじくがおいしかったです ね。あの甘さ。 OM おしつぶしたような形の。 ST あれは日本では味わえない甘さですよ。 ◎ いちばんおいしかった食事は。 ST トルファンのラグメンがいちばんおい しかった。 OM ラグメンのとなりに、にんにくがお皿に山 盛りになって出てくるんですよ。「これ何だ」と 聞いたら、毒消しだって。あそこのにんにくはお いしかった。 SN ビシュケクのラグメンはまずかったね。 麺がのびちゃって。 ◎ ビシュケクにもラグメンがあるんですか。 SN ビシュケクには、1962年に新疆か ら逃げていったウイグル人が6万人ぐらい住んで いるんです。優秀な人たちがね。それでウイグル 料理店もあるんですよ。 OW 私がいちばん印象深かったのは、そうで すね……。戦後54年になりますけど、その54 年前の光景がぱっと見えたって感じかしら。全般 的なんですけど、貧富の差が激しい。 私もこのような風景の中で生活をしていたなっ て。もうひとつ印象深かったのは、人を待つ心。 ウルムチの空港に迎えにきてくれていた留学生の 心ですね。白石ご夫妻が留学生のために尽くされ た今までの年数の分……。彼らが、「自分たちを 見えなくなるまで送ってくれたその心が忘れられ ない」と言うんですよ。「『会いたかった』とい う言葉を、どう表現したらいいかわからない」と 言う留学生を見て、涙が出ましたよ。 人と人とのつながりは、形ではなく、目に見え ない糸で結ばれているというか。そんな 思いを、旅をしているあいだじゅう感じました。 白石ご夫妻が今まで留学生と過ごされた時間、そ れが糸になったのかなと。これから、この見えな い糸、心の糸をどれだけつなぐことができるかな、 と。勉強させられました。 SN キルギスタンにしても新疆にしても、 新興国、新興の地域ですよ。日本に対する熱い思 いを持っている。それがよくわかりましたね。今 度キルギスタンから三人、私費留学生を受け入れ る予定にしているんですよ。これからは、シルク ロード倶楽部の活動も、中央アジアにまで広がっ ていくと思いますよ。 ◎ いろいろ大変なことも経験なさったようです が、ご無事でお帰りになってほんとうによかった ですね。どうも今日は、ありがとうございました。

  この座談会を行った日とほぼ同時期、キルギス タンで日本人技師4人を含む7人が、ウズベキス タンのイスラム武装集団の人質になるという事件 が起こった。人質の―人に、一行をビシュケクの 空港で出迎え、通訳の任にあたってくれたキルギ ス人のオムルベクさんが含まれていることを知り、 さらに驚きは増した。オムルベクさんは、埼玉大 学に留学した経験を持つ人である。 一見のどかな牧歌的風景の中、実は中央アジア の国々が、依然として政治的に不安定な状態にあ るということを認識させられる事件であった。

 一行がキルギスタンの国境を越えた1週間後、 大雨でその国境付近は通行ができなくなったとい う知らせももたらされた。シルクロード倶楽部主 催の今回の旅行は、まさに神のご加護のもと、無 事に何事もなく済んだのではないかと思わずには いられない。 (8月24日シルクロード倶楽部にて。)

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