2001.2.17 東京の日本シルクロード倶楽部より1冊の本が送られてきた。
田中哲二:キルギス大統領顧問日記、中公新書1570
2001年1月に発行された本なので、内容は新しい。ここに少し紹介する。
●カザフスタン入国(アルマトゥイ空港) フランクフルトから7時間。厳重な入国検査の後、迎えに来たカザフ人の段ボール紙 の切れ端にロシア語で「TANAKA」と書かれてあるメモを発見。そこから250キロ メートル先のビシュケクまで車で運ばれる。 ホテル「ドストック」に到着。このホテルは我々も泊まったホテルだった。 ●ビシュケクの都市計画 ビシュケクは19世紀半ばにロシア人により計画的につくられた。碁盤の目の町。 片側3車線の道路の、両側にはトーポリ(泥柳)の並木が続く。 ●伝統的住居ポゾイ 中国のパオ、モンゴルのゲル、ロシアのユルトに相当するのが、キルギス族の伝統的 テント式住宅ポゾイ 我々がトルガルト峠を越えるとき、現地人のテントで馬乳酒を飲んだのは、まさにポゾイ の中であった。 ●キルギス人の宗教 スンニー派イスラム教が主流であるが、一般家庭では定時のお祈りをすることもなく、 酒も禁止されていない。一部にはロシア正教も見られる。冠婚葬祭にはむしろアニミズム 的要素が多分に見られる。聖なる樹への願掛けの結びは日本の神社で見られるのとまったく 同じである。 我々もイシクル潮に行く途中で、聖なる樹に白い細い布を結びつけて旅の安全を祈った ものである。 ●鉱物資源 アンチモン、水銀は旧ソ連時代にはソ連邦第一の埋蔵量といわれた。タングステン、 金、銅、錫、ボーキサイト、シリコナ、ウランを産する。ソ連の最初の原爆に、キルギス 産のウランが使われたといわれる。天山山脈による水力発電は豊富なエネルギーを保証 する。しかし、石油、天然ガスはない。 ●ミハイル・フルンゼ ビシュケクが一時期、この地に生まれた英雄の名をとってフルンゼと呼ばれた。 フレンゼとはモルダビア語で「緑の葉」の意味であり、フルンゼの先祖はモルダビア人 である。モルダビア人はウクライナの南に住む民族で、ルーマニア人と言語・文化の面で 近い。歴史的にモルダビア人とルーマニア人の結びつきが強かったので、ソ連はモルダビア 共和国とルーマニアが再び統一へと向かうことのないように注意を払い、特にモルダビアに 対して徹底的な弾圧を加えた。 ●中国の核実験 中国の核実験は、新疆ウイグル自治区で、春の終わりから夏にかけて、東風や東南風が 吹くときに行われる。放射能の影響が中国本土の方におよばないようにとの配慮である。 その結果、核実験の後にキルギスの放射能が高くなるという。中国を怒らせたり、国民に 反中国の火をつけてしまうことを恐れている大統領は、目立った行動はとれない。 ロシアの核実験もあるので、ロシアに抗議してロシアのうしろだてを無くすことも問題で ある。「日本は中国にODAを供与しているから、環境問題の観点から中国に核実験の 中止を勧告してほしい」と言われた著者は、これを日本政府に伝えた。1995年8月に 河野外務大臣のとき、核実験問題をとりあげ対中経済援助を一時棚上げしたことがある。 その後ロブノールの実験を中止したのは、著者の努力が無駄でなかったかもしれない。 ●二重国籍とロシア語の問題 キルギスでキルギス国籍だけでいきたいが、強制するとロシア人の技師、医師、教師 といった社会的に重要な人物が出国してしまう。すでにウズベキスタンやトルクメニスタン ではこの傾向が強い。キルギスの場合は、内心はロシア人に二重国籍を認めてやりたい。 だが、この原則が表に出ると、南部のオッシュなどでは、キルギス人よりウズベク人の方 が多いから、ウズベク人の二重国籍を認めれば、フェルガナ盆地のキルギス南部はウズベク化 してしまうので避けたい。ウズベク人はキルギス人には親密感が薄く、なにかトラブル があると、天然ガスの供給をとめてしまう。 これとロシア語の公用語認定という問題がある。一時は公用語はキルギス語のみにしたが、 あの日本人拉致事件でキルギスの限界が内外に知られてしまって、ロシアのうしろだても 必要になった現在、ロシア語は公用語に戻った。 ●アラトゥ広場のレーニン像 首都ビシュケクには、まだ巨大レーニン像が残っている。今日でもレーニン像が町の 中心に残っているCIS諸国の首都はおそらくビシュケクだけであろう。 ●中央アジアの日本人抑留者 第2次大戦の後、旧満州にいた軍人・軍属を中心に約60万人の日本人がソ連領内に 抑留され強制労働をさせられた。5〜6万人が中央アジアに配置されたといわれる。 ウズベキスタンとカザフスタンにこれらの人々の収容所があった。キルギスにはそこから 短期的に個別の仕事をするために派遣されてきた人々のための宿泊設備があっただけ。 ウズベキスタンの首都タシケントとカザフスタンの当時首都アルマトゥイ(現在の首都は アスタナ)には日本人墓地がある。 イシククル湖の南側のタムガ村(湖の西端バルクチと東端カラコルの中間)にある サナトリウムの別荘スタイルの中小の別棟の木造切妻型の建物は、日本人抑留者が作った と言われる。 この本はとても現地のことを詳しく書いてある。内容も新しいから 一度読むことをお勧めする。