日本シルクロード倶楽部
2001新疆の旅

8月31日 本日はトルパン行きである。 ドルパン市との交流は、どのような形になるのであろう か。先導者はムヒット君とアルズグリさんで、今日の主役は、奈良市市長の親書を 携えた鷲尾惟子さんである。 トルパン行きは高速道路が開通しており、往年のことを 考えると実に楽になったものだ。 道中の車内に音楽が流れると、たちまち歌になる。ガイドの鮮さん(日本留学経験 あり・回族)が歌う、ダップ(タンバリンの一種)持参の鷲尾さんが和す。ダーワン チャン(天山を越える少し手前の村)通過するとき、その歌が出た。この曲は、 ウイグル族のものを漢族の有名な作曲家、王氏が編曲して作った曲だ。内地の人も ウイグル人も良く歌う。鮮さんが一番を漢語で歌い、二番をモンゴル語で歌って、 三番はアルズグリさんが、ウイグル語で歌う、合いの手は鷲尾さんがダップ打つ。 楽しい一時が過ぎる。 ダーワンチャン(達坂城)の娘、かつて旅人がこの村を通るとき、美しい村の娘の姉妹 を見て、姉だけではなく、妹も一緒に連れて行きたいと云う欲張りな歌だ(ウイグルの 元の内容は違う、カンバルハンと云う美人がいた、そのむすめにまつわる話)。 たちまち峠を越へ、まもなくトルパンだ。 10年前トルパンからウルムチにバスで峠越へするとき、大きなトラクターが故障して 突然バックしてきて、我々の乗ったバスと衝究しそうになったのである。危機一髪、 大きな事故になるところを回避できたのは運転手の技量であった。たしか、運転手は 軍のトラック隊の隊長といっていた。腕は確かであったのであろう。人はいろいろな人 の恩恵を受けながら命を運んでいるのだが有り難いことだ。 トルパンは葡萄祭りの最後の日でホテルの中も何となく華やいでいる。交河古城、 カレーズ見学、後、アルズグリさんの実家を訪問する。彼女の生まれたところは ピチャンであるが、昨年道路建設に引っかかってトルパンに引越したそうだ。 彼女を倶楽部が招聘して3年半、目的のウイグルの人が日本語を学ぶための語彙集 及び基礎日本語教科書や、その逆のもの合わせて四冊は今夏までに全て出版できた。 2年ぶりで御母さんや姉妹たちに会う、2年前に新疆訪問したとき、アルズグリさんは 日本にきて1年数ヶ月、日本語と格闘している最中であった。 ウイグル人の手になる教科書は、半年程で15OO部程売れ、いかに日本語を学びたい 人が多いか判る。彼女の次の目標も見えてきたようだ。新疆の各地から出土した仏教 文献調査である。この研究はこれからで、誰も手をつけていない。立正大学が本腰を 入れての調査となれば客員研究員として、やりがいも出てくるであろう。この様な中で の彼女の実家訪問は嬉しいかぎりであった。コルダマ(1O人で作って1人で食べる 料理・パスタ料理の一種)をご馳走になり実家を後にした。 今夜の主役は鷲尾惟子さんである。奈良市市長さんのトルパン市市長さん宛ての親書を 持参している。トルパン市は葡萄の産地として有名な町で、山梨の勝沼町と姉妹都市 関係を結んでいるが、またシルクロード上の歴史の町として、遺跡や名所が多くある。 奈良はシルクロードの終着点、トルパン市は姉妹都市関係を結びたいと考えており、 倶楽部が留学生の人脈を使って両者の間を取り持ち、この度のことが実現した。 ホテルの特別室を用意してくれ、親書手渡しのセレモ二一は無事終わった。ジャッパル 市長は堂々とした体躯の持ち主でウイグル的な人物である。宴は和やかなうちに終了、 最後席を移しウイグル舞踊をともに楽しんだ。そ「こに小さい電子ピアノがあって、 一曲、鷲尾さんが弾く、皆びっくりした。ウイグル民族の旋律の人った演奏に感激した のであるが、今後、両市の関係が発展する事を祈る。


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