喜多方ラーメンの元祖は源来軒の先代の潘欽星である。
浙江省生まれの潘さんは、大正の末に長崎にいるというおじさんを頼ってきたら、
おじさんは長崎にはいなかった。
おじさんを探して大阪、東京と尋ね、ついに喜多方で鉱山に働くおじさんと会えた。
そこで、おじさんと一緒に働きたかったのだが、鉱山は人あまりで働けなかった。
といっても、いまさら中国には帰られない。とにかく日本で働かなくてはいけない。
なにをしようか考えた末、彼はふるさとの麺を商売にしようと考えた。
そこから苦労が始まる。こわれたリヤカーを引いて、麺は中国でやっていた青竹踏みでうつ。
竹竿の一端を麺打ち台に固定させ、もう一方の端に自分の体重をかけて打つ
あのやり方で。
カンスイは福島では手に入らないから、ふるさとでやっていた洗濯ソーダを使うことにした。
戦前は中国人も朝鮮人も、全国で日本人からいじめられた。それは誰もそうだった。
長崎、神戸、横浜の場合も日本で生きる外国人は大変だったが、仲間がいたから
まだよかったろう。喜多方の潘さんもずいぶんいじめられたという。
屋台をこわされたこと。警察の尋問を受けたこと。
そういうときに、いつもかばって助けてくれた日本人がいた。紙問屋のワカサさんだった。
後に潘さんは、ワカサさんの墓参りは欠かしたことがなかったという。
苦労の末、潘さんは店をもつことができた。潘さんは麺を細麺から太麺に変えた。
それは出前が増えたからであった。出前先の遠いところは30分はかかるので、
細い麺はのびるから、麺を太くしたという。
潘さんの手打ち麺はおいしいと評判になりお客が増えた。。
昔は冷蔵庫もないから固く打ったという。特に梅雨期は柔らかく打つとだめになるから、
固く打ったという。
スープは鶏と豚骨の半々でとったという。シナチクは昔ながらの乾燥ものを横浜から
取り寄せ、店で時間をかけてもどした。焼き豚の代わりに煮豚を使った。
そして、なるとを入れた。
喜多方ラーメンは、煮豚、シナチク、刻み葱、なるとが乗るのである。
麺は太麺、味は醤油味。これが元祖喜多方ラーメン。
参考文献 小菅桂子:にっぽんラーメン物語、講談社