中国歴史のテストの解説 その3 クレーム

下記の問題に疑問を感じる人が新聞に書いていたので、紹介します。

○日本の敗戦に関連する文章として正しいものを、次の(1)〜(4)のうちから1つ選べ。
(1)カイロ会談に中国の代表も参加し、台湾の返還が決定された。
(2)カイロ会談には、ソ連からスターリンが参加した。
1943年にカイロで、アメリカ大統領ローズベルト、イギリス首相チャーチル、
中華民国総統蒋介石が出席し、対日戦の軍事面での協力と将来の領土について話し合
ったのがカイロ会談である。
(3)ポツダム宣言では、日本とドイツに対し、降伏が求められた。
ポツダム宣言は、ベルリン郊外ポツダムでトルーマン・アメリカ大統領、
チャーチル・イギリス首相、スターリン・ソ連首相が集まり決定されたのち、蒋介石中華民国
総統の同意をえて米英中3国首脳の名で発表された。ソ連は日ソ中立条約が有効期間中
であったため署名せず、1945年8月8日の対日宣戦布告ののちこの宣言に署名した。
(4)蒋介石は台湾に渡り、抗日戦を指揮した。
第2次大戦の後、中国では国民党と共産党の内戦となり、1949年10月に、
中国共産党政権が成立して、国民党政府は台湾に移り政権をうちたてた。
 正解は(1)

(2)(3)(4)は明らかに間違いだから、消去法で受験生は(1)を選ぶだろう。
しかし、(1)の「台湾の返還が決定された」というのは学会でも諸説入り乱れていること
で、この設問は特定の見解を受験生におしつけていることになる。

カイロ会談は、単独で日本と休戦協定を結ぶ恐れのあった蒋介石に対して
ルーズベルトが「台湾返還」の餌をぶらさげたものだが、米中両国とも台湾に対する
領有権をもっていない。他の連合国をだしぬいて、米中二国だけで戦勝後の相談を
したのだ。もう1人の同席者チャーチルは、日本の台湾放棄には賛成だが、中国への
返還には反対だったから、この会談の結果は3首脳の署名による公式宣言とはならず、
新聞の記事として残っただけであった。戦後にチャーチルはこの会談の法的拘束力を
否定している。
8年後のサンフランシスコ平和条約では、台湾の帰属について連合国側の意見が一致せず、
日本の台湾放棄だけしか決定されなかった。
カイロ会談は、当事者である台湾人の意思を問うことなく、勝手にその運命を左右しよう
とした。今日の国連憲章や国際人権規約の精神に照らしてみて、歴史的犯罪と言える。
かなり、きつい調子のこのクレームは評論家金美齢氏の言葉でした。
  (2001.2.3 産経新聞)