則天武后

武后は自分の子だろうと孫だろうと、自分に逆らう者は、容赦なかった。

章懐(しょうかい)太子は高宗と武則天(武后)の第2子で、学問にすぐれた。
684年、武后から死を賜った。

懿徳(いとく)太子は中宗の長男で、701年に、武后から死を賜った。

永泰(えいたい)公主は中宗の第7女で、700年郡主に封ぜられ武延基に嫁した。
翌年、兄や夫とともに17歳で武后から死を賜った。